辺獄インフェルノ

世界の怖い事件をまとめています

🌍 世界の片隅で起きた、真実の記録。
遠い国の出来事のようでいて、今を生きる僕たちにも通じる――
このブログでは、実際に起きた事件や人間のドラマを
静かに、丁寧に語り継いでいきます。

ニコライ・デュマガリエフ

狂気の夕食会

殺人コックが振舞った女性の肉

 

 

 イノシシ肉を食べたことはありますか?

 日本では牡丹肉とも呼ばれ、兵庫県の牡丹鍋などが有名である。

 甘くとろける美味しさが特徴と言われているイノシシ肉だが、もしもこの男に呼ばれてイノシシ肉を出されても、手を付けるのはやめた方がいいかもしれない。

 この事件が発覚したのは1981年、現在のカザフスタン。

 凄腕シェフのように料理上手のある男が、みんなのために作ったという数々の料理。

 特に男が勧めたのは、フライにしたイノシシの肉だった。

 集まった客達にも非常に好評だったその肉には、ある秘密が隠されていた。

 イノシシ肉のフライ、それは――女性の乳房だったのだ。

 

 

 

 1981年1月、モスクワのとあるユースホステル。

 ユースホステルという構造上、ここに宿泊している人達は大抵が顔見知りで仲も良かった。

 夜――

 外で酒を飲んで帰ってきた2人の女性が、自分達の部屋とは別の部屋へ間違えて入ってしまった。2人は泥酔していたのだ。

 部屋の中からは、何かを煮込んでいるような良い匂いがする。

 ふらふらしながらキッチンへ行った2人は、次の瞬間一気に酔いが冷めてしまうこととなる。

 なんと鍋の中では、人間の頭部が煮込まれていたのだ。

 慌てて通報した2人。ほどなくしてやってきた警官が部屋を調べると、ダンボール箱に入った大量の人間の骨を発見。

 鍋で煮込まれている頭部、大量の白骨……ゾッとする現場だった。

 そこへ料理に使うスパイスを買いに出ていた男が帰宅し、警官を見て慌てて逃走。しかし逃げ切れるはずもなく、この部屋の主である男は逮捕された。

 男の名前は、ニコライ・エスポロヴィチ・デュマガリエフ、逮捕当時29歳。

 彼は何人もの女性達を手にかけ、調理し、食べていた、シリアルキラーにしてカニバリストである。

 

 

◆メタルファング

 ニコライ・デュマガリエフ

 1952年11月25日、カザフ・ソビエト社会主義共和国(現在のカザフスタン)にて生まれる。

 9年制の学校を卒業した後は18歳でソ連軍に徴兵され、ウズベク・ソビエト社会主義共和国・サマルカンドにて化学防衛部の一員として活動していた。

 兵役満了した後は職を転々とし、1977年には故郷で消防士として働いていた。

 ごく普通の一般男性と見られていたデュマガリエフだが、彼には少し変わった部分もあった。

 ステンレス製の牙を作って入れ歯のように装着し、お気に入りの銀色の牙を自慢していたのだ。

 この特徴的な牙をさして、逮捕後のデュマガリエフは一部で「メタルファング」とも呼ばれていた。

 

 1979年1月。

 ウジナガシュの高速道路付近で女性を殺害。

 同年8月21日には、酩酊した状態で勤務していた消防署の同僚を誤って射殺してしまう。

 逮捕されたデュマガリエフは統合失調症と判断され、また同僚の件は事故ということで、1年と経たないうちに釈放された。

 彼はウジナガシュへ戻り、釈放後に3件の殺人を行なっている。

 

 またデュマガリエフは、娼婦をとても憎んでいた。

 他のシリアルキラーでも娼婦の女性をターゲットにしている者もいるが、デュマガリエフもその一人である。

 しかしこの男の場合は独断と偏見で女性を売春婦だと決めつけ、次々と手にかけていた。

 犠牲者の中には男性や知り合いなどもいたが、デュマガリエフは多くの場合「見た目や雰囲気が娼婦っぽい」というだけで、殺害する女性を選んでいたのだ。

 

 顔立ちも良く、振る舞いも紳士的だったデュマガリエフ。

 彼は繁華街や公園を歩きまわっては美しい女性に声をかけてナンパし、デートをしながらさり気なくひと気のない場所へと誘い出した。

 そして頃合いを見て、常にバッグの中に忍ばせている斧で頭部を割って殺害。

 ナイフで首を裂いて血液を飲み、体をバラバラに解体していた。

 細かく刻んだ体の部位を持ち帰り、それ以外は焼いてから川へと流していたのだ。

 いくらひと気がないと言っても、野外でこれだけのことをするというのは常軌を逸しており、とてもまともな思考を持っていたとは思えない。

 これだけでも鬼畜の所業だが、この事件では更に恐ろしいことが行なわれていた。

 なんとデュマガリエフは手にかけた人達を調理して自ら食べ、その上、宿泊していたユースホステルの友人達に料理をふるまっていたのである。

 

 

◆カニバリストの夕食会

「やあ、ようこそ。好きな席にかけて楽しんでくれ」

「最高、どれも美味しいわ!」

 テーブルに並べられたロシア料理、カザフスタン料理の数々。

 シチュー、フライ、カツレツにビーフストロガノフ。

 デュマガリエフの手料理は非常に評判であり、友人達は喜んでユースホステルで行なわれる夕食会に参加していた。

「このフライは何の肉かしら?」

「これはイノシシだよ、甘くてとろけそうだろう」

 デュマガリエフは殺害した娼婦の乳房をフライにし、イノシシ肉だと言って振舞っていた。

 もちろん他の部位もそれぞれ加工して調理している。

 

 逮捕後、ニコライ・デュマガリエフはこのようなことを語っている。

「私は彼女の喉をナイフで切りました。それから私は彼女の血も飲みました。

 この時点で村からバスがやってきたため、私は地面に伏せて身を隠しました。地面はとても冷たく、バスが去った後で私は女性の体で手を温めました。

 彼女を裸にしてから私は遺体の胸を細かく切り、卵巣を取り除き、骨盤と腰を分離しました。

 次に、これらの部位をパックに入れて持ち帰りました。脂肪を溶かして揚げ、一部を漬け込みました。

 挽き肉機を使って餃子を作り、自分で食べました。私は他の誰にもその肉を提供したことはありません。

 心臓と腎臓を2回焼きましたが脂肪分が多く大変な作業で、この女性を食べ切るのに1ヶ月かかりました」

 

 

◆逮捕と治療、そして…

 冒頭で紹介した通り、デュマガリエフはユースホステルの住人に鍋を見られて通報され、逮捕された。

 デュマガリエフは50人以上の女性を殺して食べた異常者として ウズベキスタンの精神病院の中でも最も厳重なセキュリティーがある病棟へと入れられた。

 そこで8年間、電気ショック療法などのあらゆる治療が施されたのである。

 しかし一向に効果がなく、デュマガリエフは逮捕当時と全く変わっていなかった。

 

 1989年3月。

 デュマガリエフは自身の故郷であるカザフスタンの精神病院に移送されることとなった。

 しかし、ここでまた事件が起こる。

 なんとデュマガリエフは空港にいた際、警備の隙を見て逃走したのである。

『50人以上を食べた凶悪食人鬼が逃亡中!』――このニュースは地元を騒がせ、人々を不安と恐怖に陥れた。

 なぜならデュマガリエフは逃走中にもロシア各地を逃げ回りながら、連続殺人事件を起こしていたのだ。

 デュマガリエフの捜索にはKGB捜査官も動員された。

 そして約2年半後の1991年8月。

 ウズベキスタンのフェルガナで、ようやくニコライ・デュマガリエフは逮捕された。

 そして再度捕まったデュマガリエフには、無期懲役の判決がくだされた。

 

 

 紳士的な態度で声をかけ、女性を安心させてから頭を斧で割っていたデュマガリエフ。

 彼は女性達とセックスはせず、殺害と食人のみを繰り返してきた。

 何がそこまでこの男を突き動かしていたのか?

 

 逮捕後、彼はこんなことも言っている。

「ナンパした女は俺とヤりたがったが、俺は興味がないからすぐに殺して調理したんだ。

 どんな女でも食べるわけじゃない、俺が食うのは売春婦だけ。売春婦がこの世からいなくなっても何の問題もないだろう?

 友人はみんな、俺が作ったカザフ料理を喜んで食べてくれた。

 逮捕された時だって、彼らを夕食に呼ぶつもりだったしね」

 

 ★

 

 これだけのことをしておきながら何の反省もせず罪悪感すら持っていない男、ニコライ・デュマガリエフ。

 彼の欲望の犠牲となったのは50人以上の男女。

 今も存命中ならば70歳を超えているデュマガリエフは、僕達がこうしている今も食べたり、寝たり、何かを考えたりしている。

 

ルドルフ          

 

本事件を動画で見たい方はこちら





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