女性への執着
遺体を加工し身に着けていた男
「サイコ」「羊たちの沈黙」に出てくる殺人鬼のモデルとなった人物

あなたが使っている椅子、テーブル、食器――
もしもそれらが、人間から作られていたらどうしますか?
始まりは1954年のアメリカ。
広大な敷地にぽつんと建てられたとある農場。
群保安官がその家に踏み込んだ時、ある者は眩暈を起こし、ある者は耐え切れず嘔吐した。
部屋の中に設置された家具の数々は、家主の男の手作りだという。
よくよく見れば名残があった。
骨、皮膚、鼻や唇、そして女性器。
それらの家具や装飾品は全て、人間から作られていたのである。
誰しも聞いたことがあるだろう。
「プレイン・フィールドの屠殺解体職人」と呼ばれた男、その名も――エドワード・ゲイン。
1957年11月16日。
アメリカ、ウィスコンシン州 プレイン・フィールド。
この日、金物店の女主人であるバーニス・ウォーデンが突如姿を消した。
午前9時半ごろに住人が金物店の裏口から貨物自動車が去っていったところを目撃しているが、この時点では特に不審には思われていなかった。
なぜならその日は鹿狩り解禁日であり、多くの人が森へでかけていたのだ。
バーニスも鹿狩りをする誰かについて行ったのかと思われていたが――午後5時ごろになってバーニスの息子であり副保安官でもあるフランクが店を訪れ、事態は一変する。
なぜならレジカウンターは開きっぱなし、そして床には血だまりができていたのだ。
母の身に何かが起きたと感じ、フランクはすぐさま通報。
やってきた保安官に対し、フランクはこう証言した。
「昨日の夜、農場のエディがうちの店にきたんだ。エディは前から母さんに惚れてる素振りがあったし……それから、今朝早い時間にも来ている。この売上げ伝票に書いてあるよ」
店の売上げ伝票には、フランクの言う「農場のエディ」が1ガロンの不凍液を購入していった――という旨が記入されていた。
早朝に客がきて、それ以降誰もバーニスの姿を見ておらず、床には血が広がっている。
群保安官はバーニスと最後に会ったであろう男に話を聞くため、「農場のエディ」こと エド・ゲインが住んでいる家へと向かった。
同じプレイン・フィールド内にある、155エイカー・約63ヘクタールの広さを誇る農場。
敷地は広いがどこか孤独で世間と切り離されたように、ぽつんと建つ古い家。
現在の家主であるエド・ゲインは、家族を亡くしてから一人でそこに住んでいた。
しかし生憎この時、エドは家にはいなかった。
誰もいない家の中へ保安官とフランクが足を踏み入れる。室内は暗く散らかっており、また妙な匂いが充満している。
そうしてこの日エドの家を訪れた彼らは、一生に一度あるかないかの衝撃を受けることとなったのだ。
室内にあったのは天井から吊るされたバーニスの胴体と、切断された彼女の頭部。
バーニスだけではない。エドの家からは身元不明の頭蓋骨や生首などが、ごろごろと出てきたのである。
エドワード・セオドア・ゲイン。
世界中を震撼させた殺人鬼にして遺体解体人。
その異常性がのちに、映画「サイコ」「テキサスチェーンソー」「羊たちの沈黙」に大きな影響を与えることを、このころはまだ本人さえも知らない。
◆少年エドワード
1906年8月27日。
エド・ゲインはウィスコンシン州のラ・クロス群にて誕生した。
エドが育った環境は劣悪だった。
父親のジョージはエドと兄のヘンリーに対して、身体的虐待や言葉による暴力などを繰り返すアルコール依存症だったのだ。
エドの母親であるアウグスタは、旧ルーテル派の熱狂的な信者だった。
旧ルーテル派とはキリスト教プロテスタントの1つであり、変化を拒否する保守的なキリスト教徒とのこと。
ルーテル教会では、人間のあらゆる思考と行為は罪業と邪悪な動機に汚染されており、ゆえに全人類は地獄に堕ち、そこで永遠に続く神罰を受けるに値する――と教えていた。
母アウグスタはジョージとの結婚を後悔していたが教会の教えにより離婚はせず、息子たちにも教会の信念を押し付け、すべての女性は罪深く不道徳であると教えていた。
人間は生まれながらにして邪悪であり、飲酒は悪徳行為であり、そして全ての女は淫乱であり、悪魔の手先であると、幼い兄弟に日頃から言い聞かせていたのだ。
ちなみに全ての女と言っても、母である自分自身は例外だそうだ。
また、母アウグスタによる異常な性教育は常軌を逸しており、男性器を悪の象徴だと教えていた。
兄弟に自分のペニスに唾を吐くよう命じたり、若い女性を嫌うよう洗脳。果ては「父ジョージが早く死ぬよう」祈らせたりと、常識では考えられない教育を強いていた。
少年時代のエドは恥ずかしがり屋で内向的。友達が少なく、ほとんどの時間を一人で過ごしていた。
中学は2年生で中退し、その頃から両親の農場経営を手伝い始める。
この農場はゲイン一家の終の棲家として父が作ったもので、約63ヘクタールもの広さがあった。
63ヘクタール、その広さは東京ドーム約13個分。ちなみに東京ディズニーランドは約51ヘクタールである。
母アウグスタは周囲から孤立した場所に住むのを良いことに、息子たちに悪影響を与えるであろうよそ者をますます遠ざけていった。
兄ヘンリーもそうだが、エドは一般的な男子が興味を持つであろうものを全て禁じられ、たくさんの喜怒哀楽や友達との友情を学ぶべき時期を孤独に過ごしていたのだった。
◆家族との別れ
1940年4月1日。
アルコール依存症だった66歳の父・ジョージが心不全で亡くなった。
34歳のエドは生活のため、兄のヘンリーと日雇いの仕事をすることにした。
地域住民の兄弟に対する評価はとても良く、雑務をこなす兄弟は皆から頼られるようになる。
そんな生活の中で やがて兄ヘンリーは女性と交際を始めた。
「彼女と結婚してどこかで暮らしたいが、そうすると弟のエドワードはあの母親と2人きりで暮らすことになる……」
ヘンリーはエドを心配していたため、「いい加減あんな母親からは乳離れしろ」とエドに強く言ったこともあった。
しかし、1944年5月16日。
兄ヘンリーは火事に巻き込まれて亡くなってしまう。
その日は兄弟で敷地内の湿地帯に生えている草木を焼き払っていたのだが、予想以上に炎が大きく広がってしまったのだ。
消防隊による鎮火活動が終わると、エドは「兄が行方不明になった」と通報した。
夜間だったが捜索隊の懸命な捜索により、やがてヘンリーの遺体が発見された。
ヘンリーの頭に打撲の跡があったという意見も出たが、犯罪が絡んでいる可能性を警察は否定。郡の検死官はヘンリーの死因は正式に窒息であると発表した。
ヘンリーの死には謎が多く、真相は未だに判明していない。
……判明してはいないのだが、「エドの仕業ではないか」という説が現在は有力となっている。
エドはヘンリーに、母のことを悪く言われたのが許せなかったのだ。
ともあれ、こうして父と兄を失ったゲイン一家。
母アウグスタとエドの2人きりの生活となったが、母は間もなく脳卒中を起こして体が自由に動かせなくなってしまい――ヘンリーの死から5年後の1949年12月29日、67歳で息を引き取った。
この頃エドは43歳になっていた。
母親が亡くなった後エドはますます孤立し、死と女性の解剖学への執着を深め始める。
彼は解剖学に関する本や教科書を読み始め、最終的には墓を掘り返して遺体の一部を収集し始めたのである。
◆初めての殺人
エドの母が亡くなってから約4年後の1954年12月8日。
居酒屋の女主人、メアリー・ホーガンが行方不明となった。
この店の常連である農夫の男性がメアリーの店を訪れたが、店内には誰もいない。メアリーの姿もなく、何だか不気味な雰囲気が漂っていた。
予感は的中してしまう。
彼が恐る恐るカウンターの中を覗くと、何と床に血だまりができていたのだ。
男性はすぐさま通報し、やってきた保安官が調べたところ32口径ライフルの薬莢と、引きずられた血の痕を発見。
現場に争った形跡はなく、レジのお金にも手は付けられていない。
動機も犯人も不明のまま、1ヵ月が経っても事態は進展しなかった。
メアリーの行方不明事件はプレインフィールドの小さな町でたちまち噂になり、誰もがこの事件を話題にしていた。
もちろん犯人はエド・ゲインなのだが、それを知らない町の住人は皆エドに同情した。
なぜならエドがメアリーを好いていたことを、皆が知っていたからだ。
一人の住人がエドにこう言った。
「エディ。メアリーがいなくなって心配だろう? もしもお前と彼女が上手くいっていたら、今頃はお前の家で一緒にディナーを食べていたのにな」
するとエドはこう答えた。
「彼女はいなくなってなんかないよ。今もうちにいるよ」
この台詞に対し、皆は少し驚いたのちに笑った。珍しくエディが冗談を言ったぞ、と。
エドは町の便利屋のような立場で、皆から信頼されていた。
よく働くし真面目で礼儀正しい。年齢の割には子供っぽくてぼんやりしていることも多いと思われていたが、概ねエドは住民から愛されていた。
だから、エドの嘘偽りのない言葉を皆は「冗談」だと思ってしまったのだ。
「彼女は、今もうちにいる」。
◆エドの手作り家具
メアリー行方不明事件から3年後、1957年11月16日。
ここで冒頭のバーニスの事件が起こり、保安官はエドの家を訪れた。
エドの家は、一言でいえばゴミ屋敷だった。
食べ残しなどの汚物にまみれた暗い室内をゆっくり進む保安官と、副保安官であるバーニスの息子・フランク。
台所に入った2人が懐中電灯を上に向けると、そこには奇怪なモノが吊るされていた。
フランクが絶叫する。保安官が外へ飛び出し嘔吐する。
なんとそれは、頭部を落とされたバーニスの胴体だった。
しかも縦に真っ二つに切られて内臓が抜かれ、まるで血抜きをするかのように吊られていたのだ。
室内にあったのはそれだけではなかった。
人の皮膚から作ったランプシェードや、骨で作った食器、頭蓋骨の燭台、皮膚を剥がして作った手袋、幾つもの乳首を並べて付けたベルトなどなど――おびただしい数の人間家具・または人間装飾品が出てきたのである。
家具以外にも色々なものが保存されていた。
箱に詰まったたくさんの鼻、9つの女性器、銀色に塗られてリボンまで付けられた女性器、何枚もの舌で作ったネックレス、ブラインドの紐に付けられた唇。
中でも知られているのは、女性の皮膚を縫い合わせて作ったベストである。
女性の乳房が左右の胸元にくるよう縫われ、人の顔の皮膚も縫い付けられていた。
これらの殆どは墓から持ち出された遺体で作られており、家具に加工はせずそのまま保管された頭蓋骨や干し首などもたくさんあった。
中には、4年前に行方不明となったメアリーの遺体の一部もあった。
なぜエド・ゲインはこのような物を作っていたのか?
エドはナチスに関する書物を読み、収容者の皮膚や骨で家具を作っていたという女性看守――イルゼ・コッホに強く興味を持っていた。
また第二次世界大戦の英雄、「軍人のクリスティーン・ジョーゲンセンが性転換手術をして女性になった」というニュースにも興味をそそられた。
女性になるとはどんな感じなのか?
母からずっと言われていた……男性器は忌むべきものであるのだと。
エドは母の言葉を忘れることができず、乳房が付いたベストを着て女性になってみたいと思ったのかもしれない。
◆裁判の結果…
かくしてエドワード・セオドア・ゲインは逮捕され、裁判にかけられた。
判決は、精神異常により無罪。
エドは精神病院で余生を過ごし、1984年7月26日、77歳で亡くなった。
数々の悍ましい手作り家具が発見され、エド・ゲインはアメリカの犯罪史に大きく名を刻むこととなった。
幼い頃に母から受けた教育は、良くも悪くもエドの心にしっかりと残っていたのだ。
その証拠にゴミ屋敷と化していたエドの家は、母の部屋だけ綺麗に片付いていたのである。
エドは母の死後、彼女の部屋の扉を閉め、誰も立ち入れないように封印していた。
また犠牲者であるメアリーとバーニスはエドの母と見た目が似ている、ふくよかな中年女性だった。
エドは彼女達を通して母を見ていたのか。
彼女達に言い寄っていたのも、殺してしまったのも、母に対する形容しがたい感情が根底にあったのかもしれない。
エドは母を恐ろしく思いながらも、普通の家の子供達と同様に母を愛していたのだろう。
しかし犠牲になった2人の女性にも、加工された遺体の女性達にも、家族や友人・愛する人はいたはずなのだ。
吊るされた母の胴体を見たフランクはどれほど心に傷を負ったことか。
遺体をベストや家具にされた遺族はどれほど心を痛めたことか。
エド・ゲインは様々な作品のモデルに用いられることがあり、これからも人々の記憶に残り続けていくことだろう。
僕もテキサスチェーンソーや羊たちの沈黙は大好きだ。
2025年にドラマ化された「エド・ゲイン」も素晴らしかった。
だけどその裏で犠牲になった人々がいることも、決して忘れてはならない。
ルドルフ

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