辺獄インフェルノ

世界の怖い事件をまとめています

🌍 世界の片隅で起きた、真実の記録。
遠い国の出来事のようでいて、今を生きる僕たちにも通じる――
このブログでは、実際に起きた事件や人間のドラマを
静かに、丁寧に語り継いでいきます。

ダイアン・ダウンズ

まさかの事件

恋した母が捨てたもの

 

 

 愛する人のために、大切なものを犠牲にできますか?

 実を言えば日本にも、無慈悲な取捨選択をする人は大勢いる。

 恋人のために――或いは恋人と一緒になって、我が子を虐げる最悪のケース。

 この事件が起きたのは1983年のアメリカ。

 ある家族が強盗に襲われ、母親と子供達が大怪我を負った。

 可哀想な親子、そして許せない男の犯行。

 しかし、惑わされてはいけない。

 この痛ましい事件はなんと、母親の自作自演だったのである。

 

 

 

 1983年5月19日。

 アメリカ、オレゴン州 スプリングフィールド。

 夜も更けた午後10時半頃、地元の病院の駐車場は大騒ぎとなった。

 1台の車から女性が顔を出し、クラクションを鳴らしながら病院スタッフに大声で助けを求めたのである。

 

「子供達が撃たれたの! お願い誰か助けて!」

 

 見れば女性自身も腕に怪我をしており、駆け付けた看護師たちはただちに怪我人の処置を行なった。

 車を運転していた女性の名前はダイアン・ダウンズ、当時27歳。

 後部座席でぐったりとしていたのは、彼女の3人の子供達であった。

 クリスティー・アン・ダウンズ 8歳。

 シェリル・リン・ダウンズ 7歳。

 スティーブン・ダニエル・ダウンズ 3歳。

 子供達はいずれも銃で撃たれた痕があり、残念ながら次女のシェリルは既に息がなかった。

 母親であるダイアン・ダウンズも左腕を撃たれていたが、命に別状はなかった。そのため、必死の想いで子供達を病院まで運んでこれたのだ。

 一体この親子に何が起きたのか?

 警察や医師に対して、母ダイアンはこのように説明をした。

「危険な男にカージャックされそうになり、銃で襲われたのだ」と。

 

 その日――

 ダウンズ親子は友人の家で楽しく過ごした後、車で自宅へ向かっていた。

 すると前方に、こちらに向けて手をあげている男の姿が見えた。

 何かあったのかと思ってダイアンが車を停め、男と話すために外へ出る。

 すると突然男が車のキーを要求し、ダイアンは驚いたもののそれを拒否した。

 口論になった2人だが、やがて男が銃を抜いてダイアンの腕を撃った。

 激痛にダイアンが悶えている横で、なんと男は後部座席のドアを開け、3人の子供達に向けて発砲した。

 悲鳴をあげるダイアン。

 しかし彼女は機転を利かせ、取り出した車のキーを茂みに向かって放り投げるフリをした。

 騙された男がそれを取りに行っている隙に、急いで車に乗り込んで発車させた。

 

 何という腹立たしい事件だ。車欲しさに子供達まで巻き込むなんて――

「ただちに男を捕まえねば」と警察はダイアンをパトカーに乗せ、犯行現場まで案内してくださいとお願いした。

 するとダイアンは、警察にこんなことを言った。

 

「ねえ、私の車……大丈夫かしら。銃弾の穴とかあいてないかしら?」

 

 ――なんだこの人、我が子よりも車の心配をしているのだろうか。

 

 

◆ダイアンという女

 ダイアン・ダウンズ

 1955年8月7日 アメリカ、アリゾナ州フェニックスの生まれ。

 4人兄弟の長女として生まれたダイアンは、旧姓をフレデリクソン――元々の名前と合わせると、エリザベス・ダイアン・フレデリクソンという。

 ダイアンの両親は保守的で新しいことを嫌う、現状維持に努めるタイプの性格だった。

 子供の頃のダイアンは両親に従っていたが、十代半ばになると徐々に両親に犯行的な態度を取るようになる。

 14歳の時には、エリザベスという自分の正式な名前をミドルネームのダイアンに変え、以降はダイアン・フレデリクソンと名乗るようになった。

 ティーンエイジャーの頃から大人っぽく、また行動も大人びていた。

 高校在学中に出会ったスティーブ・ダウンズと交際を始めたのだが、両親はスティーヴとの交際を反対していたという。もちろんダイアンはそれには従わず、かなり早い年齢のうちからスティーブとの関係に没頭するようになっていた。

 スティーブはその後軍隊に入ったが、ダイアンはキリスト教の大学へと進学。

 遠距離恋愛が続く中、なんとダイアンは大学を退学となってしまう。――理由は、不特定多数の生徒と不純な関係を持ったから。

 

 大学を追放されたダイアンは一度は実家に戻ったものの、スティーブが帰国したのと同時に家出をし、彼と結婚した。

 3人の子宝に恵まれたが、生活は不安定だった。

 お金の問題、そしてダイアンの浮気問題。

 実を言えば末っ子のダニエルの父親は、スティーブではなかった。夫スティーブは2人の娘が生まれた時点で、精管の切除をしていたのである。

 赤ちゃんは自分の子ではないと知っていたが、スティーブはその子を受け入れたのである。

 

 しかしいくら子宝に恵まれようと、そんな生活では上手くいかない。

 結局2人は1980年に離婚し、子供達はダイアンが引き取ることとなった。

 その後数年間、ダイアンは様々なパートナーと関係を持つ中で、元夫のスティーブにも和解を求めたりしていた。

 まだまだ小さな子供達は、色々な男と遊びまわる母をどんな想いで見ていただろう。

 

 

◆愛情と母性

 シングルマザーとなったダイアンは、父親のコネで郵便局に勤め始めた。

 フルタイムでの勤務だったため、子供達は両親や元夫、またはダニエルの父親と一緒に過ごすことが多かったようである。

 たまにはダイアンと子供達が一緒に過ごすこともあったが、隣人の証言によると「ダイアンは本当に子供達のお世話をしているのか?」と疑問に思うこともあったという。

 なぜなら子供達は季節感のない服装をしていることが多く、いつもお腹を空かせている様子だったからだ。

 またダイアンは両親や元夫を頼れず、ベビーシッターを雇えない時でも働きに出ていた。その際は、長女のクリスティーに兄弟のお世話を任せていたという。クリスティーは、まだ6歳だった。

 

 その後ダイアンは、子供ができない夫婦のために自分が子供を産む――いわゆる代理母として活動し始めた。

 なぜなら子供を産むと、ある程度のまとまったお金がもらえるからだ。

 実は以前も一度、代理母になろうとしたダイアンだったが、その時は審査に落ちていた。

 何しろ自分の子供の面倒はきちんと見ていないし、男性関係も激しく、性感染症も患っていたからだ。

 しかし今回は審査に通ったようで、ダイアンのお腹には新しい命が宿ったのである。(通すなと言いたい)

 

 そしてこの頃、ダイアンは1人の男と出会った。

 ロバート・ニック・ニッカーボッカーという、同じ郵便局に入社してきた既婚者の男性である。

 ダイアンに言い寄られたロバートもそれに応じ、ダイアンが代理出産をしたのち2人は男女の関係になった。

 ちなみにロバートの方は、初めからダイアンに「これは単なる遊びである」と伝えていたという。

 

 既婚者と知りながら近付いてきたわけだから、ダイアンもきっと遊びのつもりなのだろう――ロバートはそう思っていたが、実際は違った。

 関係が続く中、ダイアンがロバートと結婚したいと言うようになったのだ。

 もちろんロバートはそれを拒否した。自分は妻と別れるつもりはないし、子供を作りたくないのでそういう処置も施している、と。

 それでもダイアンは諦めなかった。

 ロバートの方も、そんなダイアンときっぱり別れることができなかった。

 一度はダイアンがロバートに性感染症をうつしたことで夫婦の危機が訪れたが、ロバートの妻は夫の浮気を知った上でそれを許したという。

 しかしそんなことがありながらも、ロバートはダイアンとの関係を続けていた。

 ダイアンは左肩にロバートの名前のタトゥーを彫り、ますます彼にのめり込んでいったのだった。

 

 

◆執念の女

 しかしいくら時間が過ぎても、ロバートは妻と別れる気配がない。

 痺れを切らしたダイアンが「私と奥さんどっちを取るのか」と詰め寄ると、ロバートはあっさり「妻を取る」と言った。

 ダイアンは大激怒。声の限りに怒鳴り散らし、喚き立てた。

 初めて目にするダイアンのブチ切れ具合に、たまらずロバートはダイアンのアパートを飛び出し自宅に帰った。

 ダイアンは一晩中ロバートの家のドアを叩き、それが終わるとロバート宅に鬼のように電話をかけまくり、ロバートがいない時に家を訪ね、彼の妻に罵声を浴びせたという。

 夫婦はほとほと参ってしまい、取り敢えずダイアンから離れるため、2週間の休暇を取って故郷のテキサスへと非難したのだった。

 

 ロバートの休暇を本気の引越しだと勘違いしたダイアンは、今度は作戦を変更。

 押すのではなく引くべきだと考え、勤めていた郵便局でオレゴン州へ転出したいと希望を出した。

「私がここを去るから、あなたは職場に戻ってきていいのよ」ということである。

 その行動には、「きっとロバートは追いかけてきてくれる」という期待が込められていたのだとか。

 しかしそんな彼女の期待とは裏腹に、ロバートはダイアンがオレゴンへ異動してから 一切の郵便や電話を拒絶。

 その事実は、ダイアンに大きなショックを与えた。

 

 ロバートに会いたい。何とかして振り向かせたい。

 どうすれば、どうすればどうすれば。

 

 そしてダイアンは、心を決めた。

 

 

 1983年5月19日。

 ダイアンはひと気のない道で車を停め、22口径の銃を子供達に向けた

 子供達は訳が分からないまま銃弾を受け、次女のシェリルに至ってはそのまま命を失ってしまう――。

 その後でダイアンは強盗の犯行に見せかけるため自分の腕を撃ち、自分で止血処置をした。

 子供達への止血処置は、一切しなかった。

 そしてノロノロと時間をかけて車を走らせ、病院を目指したのだった。

 

 

◆少女の証言

 警察は当初から、母ダイアンを疑っていた。

 なぜならダイアンは、子供達が危険な状態だというのにかなり落ち着いていたのだ。

 しかも病院で夜を明かした翌朝、7時になるとすぐさまかつての勤務先である郵便局に電話をかけ、「こんなことがあった」と同僚に泣きながら説明。

 この悲劇にショックを受けた同僚は、ダイアンと関係を持っていたロバートに電話を替わった。

 そしてダイアンは涙ながらに、自分と子供達に起きた不幸を語ったのである。

「ロバート、愛してるわ」という言葉を添えて。

 つまりは我が子の心配より、いかにロバートの気を引くかに神経を使っていたのだ。

 

 次女シェリルは助からなかったが、長女クリスティーと末っ子ダニエルは一命を取り留めていた。

 しかし、まだ意識は戻らない。

 ロバートと電話で話した夜、ダイアンはクリスティーのいる集中治療室へ行き、娘の手を握って耳元で囁いた。

 

「クリスティー。愛してる。愛してるわ……」

 すると次の瞬間、意識のないクリスティーの心拍数が急上昇したという。

 

 ロバートや元夫の証言により、警察はダイアンが事件に使われたのと同じ「22口径の銃」を所持しているという情報を掴んでいた。

 しかし決定的な証拠を掴めず、このままではダイアンを逮捕することができない。

 唯一母親の凶行を目にしていたであろうクリスティーの意識回復を待つよりほかなかった。

 

 1984年2月下旬。

 ようやく話せるまでに回復したクリスティーは、母を裁く証言台に立つこととなった。

 ……とはいえ、まだまだ9歳の幼い少女である。

 ただでさえ裁判という特殊な空気の中、自分を撃った母親の前でしっかりと話せるだろうか?

 担当検事は何度もクリスティーと面会し、お喋りや遊びの中で少しずつ信頼関係を築いていったという。

 全ては、彼女の証言にかかっていた。

 

 そうして証言台に立った幼いクリスティーに、検事は丁寧に1つずつ質問をしていった。

 

 ――ママはその時どうしたの?

「シェリルを撃ちました。

 それから後ろのシートに体を乗り出して、ダニエルを撃ちました」

 

 ――君を撃ったのは誰だい?

「ママです」

 

 ――ママのことを、今でも愛してるかな?

「はい」

 

 クリスティーは立派だった。最後まで全ての質問に答えたのだ。

 

 実の娘の証言により、1984年6月17日――ダイアン・ダウンズには終身刑が言い渡された。

 ちなみにこの時ダイアンはまたしても代理母として妊娠しており、十日後に女の子を出産した。

 

 生き残ったクリスティーとダニエルは、担当検事のフレッド・ヒューギ氏が養子として引き取ったという。

 

 

 ★

 

 

 浮気相手の気を引くため、子供達に最悪の狂気を向けたダイアン・ダウンズ。

 男性の方も早々に関係を絶ち切っていればと思ってしまうが、全ては遅すぎたのだ。

 本事件はテレビドラマのような感じで映像化もされていて、日本では「ファラ・フォーセット/薔薇の秘密」というタイトルでビデオリリースされている。

 この件で唯一安心できたのは、助かった子供達がダイアンの手を離れられたことである。

 同時に、亡くなった次女シェリルの冥福を祈らずにはいられない。

 

ルドルフ          

 

本事件を動画で見たい方はこちら

 

 

 

 

 

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