フランスの青髭
極悪紳士に惚れる女性達

紳士的な男性は好きですか?
少しばかり好みの容姿でないとしても、女性に優しくスマートな男性ならば、心を許す人も多いかもしれない。
この事件が始まったのは、1915年のフランス。
金に困っていたある男が、究極の結婚詐欺に手を染めた。
次々と未亡人を誘惑しては、恋心を利用して金を奪っていた男。
しかもご婦人達は皆、ストーブで焼却されてしまったのである。
1921年11月7日。
フランス、ヴェルサイユの裁判所。
この日、世にも恐ろしい事件を起こしたとして1人の男の裁判が開かれた。
男の名前は、アンリ・デジレ・ランドリュー。この当時52歳。
裁判が始まるとランドリューはフランス中の注目を集め、日を追うごとに各地から傍聴希望者が押し寄せた。
パリ発→ヴェルサイユ行きの列車は満員状態。
多くの傍聴希望者を乗せた列車は当時、「ランドリュー特別号」と呼ばれるほどだった。
なぜ人々は、これほどまで彼に関心を寄せていたのか?
その理由は、被告ランドリューが女性に優しく、ユーモアもあるいい男だったからだった。
◆詐欺師への道
アンリ・デジレ・ランドリュー
1869年4月12日
フランス、パリの生まれ。
平凡ながらも真面目な両親の間に生まれたランドリューは、親にならってキリスト教の学校へ進学し、真面目に勉学に励んでいた。
卒業後は建築事務所に就職しやはり真面目に働いていたが、20歳の時に関係を持っていた従姉妹が妊娠。
真面目なランドリューはもちろん責任を取って彼女と結婚し、兵役後は自分の建築事務所を開いたのだった。
しかし、仕事がなかなか上手く行かない。
その上、給料を積み立てしていたものが雇主に持ち逃げされてしまうといった説もあり、ランドリュー一家はたちまちお金に困るようになった。
子供も更に3人生まれたため、このままでは食べていけない。
「路頭に迷うくらいなら」と、この頃からランドリューは数々の細かな詐欺に手を染めた。
1902年~14年の約12年間、ランドリューは刑務所を出たり入ったりしている。
これまでの真面目さはどこへやら、逮捕されるたびに囚人仲間から情報を得て、釈放後はまた犯罪に走ったのだった。
そのようなランドリューの愚行を恥じたのか、彼の父親は自ら命を絶ってしまう。
命を持って息子に訴えかけたが、ランドリューの良心が戻ることはなかった。
そうして刑務所を出入りしていたランドリューだが、最後に逮捕されたのは、結婚詐欺だった。
1910年のことである。
ランドリューは新聞の広告欄に「結婚相手を募集しています」というメッセージを出し、応募してきた女性から2万フランを騙し取った。
結局尻尾を掴まれて3年間服役した訳だが、出所後の彼はこう考えた。
――証拠を残さなければ、捕まることはない。
ランドリューは決意した。
証拠を残さない――すなわちターゲットの命を奪ってしまえばいいのだと。
こうしてランドリューは青髭と化し、次々に女性を引っ掛けては財産を奪い、手にかけたのである。その数はなんと、実に11人。
◆青髭の犠牲者たち
1915年4月。
ジャンヌ・キューシェ 39歳、息子アンドレ・キューシェ 16歳。
シングルマザーのジャンヌはランドリューと出会い、その優しさと、「息子にも仕事を紹介する」という言葉を信じてしまった。
ジャンヌの家族はランドリューを心底怪しんでいたが、彼女は忠告を聞くどころか家族との縁を切ってまで、息子と共にランドリューの元へ走った。
翌年、ランドリューの自宅の煙突から強い匂いと共に煙が立ち昇った。
1915年6月。
テレーズ・ラボルドゥ・リンヌ 46歳。
ホテル経営者で未亡人のテレーズは、息子夫婦と別居して孤独を感じていた。
そこでランドリューと出会い、未来の夫の家に引っ越すと言って家具を売り払った。
6月26日以降、彼女の姿を見たものはいない。
1915年8月
マリー・ギラン 51歳。
2万2千フランの現金を所持していたマリーは、新聞広告を通じてランドリューと出会った。
出会ってから僅か数日後、ランドリューはマリーの証券を売った上で彼女の兄だと偽り、「マリーに頼まれた」と言って彼女の口座から1万2千フランを引き出した。
この8月から鉄道駅にトランクが放置されていた。
翌年の2月――酷い匂いに気付いた駅員がトランクを開けると、中から女性の遺体が発見された。
遺体は腐敗が激しく、それが誰であるか特定には至らなかった。
その後ランドリューは住宅街から300メートル離れた寂しい場所で、エルミタージュ荘と呼ばれる家を借りている。
この家が数々の犯行現場であるため、のちに人々から「青髭城」と呼ばれるようになった。
1916年12月
エオン夫人 54歳。
彼女もまた未亡人だった。戦争で息子を失った後は娘を病気で亡くしていたため、ランドリューのプロポーズを心から喜んだ。
ランドリューは家を借りてから、最初に大量の石炭と大型のストーブを購入していた。
エオン夫人はこのストーブで焼却されてしまった可能性が高い。
1916年12月下旬
アンナ・コロン 45歳。
アンナは同棲相手がいたが、ランドリューの広告を見て手紙を出した。ちなみにこの時、自身の年齢を29歳と偽っている。
アンナはランドリューと出会ってすぐに惚れこんでしまい、家族にも会わせていた。
しかしアンナの両親や姉は、ランドリューに良い印象を全く持たなかったという。それでも、アンナを思いとどまらせることはできなかった。
妹が2人の住む青髭城を訪ねた12月27日を最後に、アンナは消息を絶った。
1917年4月
アンドレ・バブレ 19歳。
アンドレは未亡人でも金持ちでもなく、母と喧嘩して家出したところをランドリューに拾われた。
ランドリューは彼女を青髭城に連れて行ったが、その際彼女が「見てはならないもの」を見てしまったために命を奪われたと言われている。
1917年9月
セレスティン・ブイソン 44歳。
ホテル経営者の夫を亡くしたセレスティンもまた、新聞広告を通じてランドリューと交流を持ち始めた。
手紙で彼女を励ますランドリューの優しさに惚れ、同じ年に亡くなったセレスティンの姉の葬儀をランドリューが世話をしたことで、2人の仲は深まった。
ちなみにセレスティンの家族も、ランドリューに良い印象を持っていなかった。
犯行当日と見られる9月1日、ランドリューの預金が1000フラン増えていた。
1917年11月
ルイーズ・ジョウム 35歳。
ルイーズは離婚したばかりで、その年の夏、結婚仲介業者を通じてランドリューと出会った。
彼女はカトリック教徒だったためランドリューの誘いを再三断っていたのだが、最終的にはプロポーズに応じ、青髭城へと連れて行かれた。
夏に出会って11月には行方不明となり、その後ランドリューはルイーズの口座から1400フランを引き出している。
1918年4月
アンナ・マリー・パスカル 36歳。
アンナも未亡人だが、彼女もまた他の被害者と違って裕福ではなかった。
美しい女性だったため、ランドリューが彼女を気に入っただけとも見られている。
アンナも青髭城に行ってから消息不明となっていたが、被害者の中では唯一ランドリューを疑っていた。
叔母に宛てた手紙には、こう書かれていたのだ。
『彼が何者なのか分かりませんが、怖い気がします。あの目でみつめられるとぞっとします。どこか悪魔みたいな感じです』
1919年1月
マリア・テレーズ・マルシャディエ 36歳。
小さな下宿屋を経営していたマリアはお金が必要になり、ランドリューに手紙を出して下宿屋を売却することを持ち掛けた。
その際ランドリューは、妻にお金を用立ててもらったという。
そしてランドリューはマリアにプロポーズし、彼女に自身の家財を売却させてから青髭城へ連れて行った。
その3日後、青髭城の煙突から煙があがった。
それは近隣住民によると、吐き気を催すほどの悪臭だったそうだ。
◆裁判、そして青髭の最期
アンナ・コロンの家族が彼女の失踪を知り、ランドリューの青髭城がある村の村長に捜索を依頼した。
その際、「そういえば以前こんなことがあった」と、村長はアンナの家族にセレスティン・ブイソンが青髭城から消えたことを話している。セレスティンの家族も手紙を送っていたが返事がないということで、村長に問い合わせていたのだ。
アンナとセレスティンの家族が連絡を取ったところ、互いの持っていたランドリューの容姿などの情報が一致。
すぐさま警察に届け出が出され、捜査が始まった。
11人が犠牲となった後の1919年4月。
セレスティンの妹であるラコストが、町で偶然ランドリューを見かけた。
そうしてアンリ・デジレ・ランドリューは逮捕されたのである。
しかしランドリューは一貫して黙秘を貫き、捜査にも全く協力をしなかった。
元々詐欺師であり、結婚詐欺の前科もある。
消息不明の女性達も大勢いるし、煙突から出る煙の匂いは最悪だったと証言もある。
怪しいのは青髭城にあったストーブで、多くの女性がそれで焼却されてしまったとみられている。
だが、遺体が一切出てこない。
庭を掘り返しても、地下室の灰の中からも、被害者の遺体だと言える決定的な証拠は出て来なかった。
遺体が見つからないまま始まったランドリューの裁判は、多くの国民の注目を集めた。
何しろ童話の「青髭」が蘇ったかのような事件、そして連日報道されていたランドリューのインパクトのあるルックス。
頭の毛が薄く背も低く、口ひげもモサモサしているおじさん。――そんな男がこれほどまでの数の女性をいかにして落としたのか?
各地から傍聴を求めて人々が押し寄せ、列車は満員状態だったという。
そうして裁判でのランドリューの振る舞いは、国民の期待を裏切らなかった。
上品な態度を取りながらも、皮肉な冗談を言う男。
以下、裁判で彼が言ったセリフ。
「女性は生まれた時から時からではなく、破瓜(はか)の時から歳を数えるのです」――これは多くの国民を唸らせたという。
ちなみに破瓜というのは 16歳になった時、初めて異性と関係を持った時、洗礼を受けた時などの意味があるらしいのだが、ランドリューのことなので「異性と関係を持った時から歳を数える」というつもりで言ったのだろう。
またある時の裁判で、遅れてやってきた女性の傍聴人がいた。彼女は座る場所がなく困っていた。
するとランドリューがそれに気付き、「お嬢さん、私の席で宜しければどうぞ」と、自分の被告席を勧めた。
このようなキザな男のパフォーマンスが国民に受けたのだ。
娯楽の少ない当時のフランスで、ランドリューの裁判は恰好の娯楽となったのである。
その背景には、スキャンダラスな報道を通して、わざとマスコミが国民の関心をランドリューに向けさせたふしもある。
ともあれランドリューには多くのファンができ、お菓子やタバコの差し入れが連日届けられた。
女性ファンからは結婚の申し込みも山ほど届いたという。
またその年に行なわれた総選挙では、ランドリューの名前が書かれた投票用紙が約4000枚もあったのだった。
無罪を主張し続けたランドリューだが、判決は有罪。
ランドリューはギロチンにより処刑されることとなった。
1922年2月25日、ヴェルサイユ刑務所。
ランドリューの死刑執行のこの日、予想通り多くの国民が見物にやってきた。良い場所を取ろうとした徹夜組もいたし、ナイトクラブからはドレス姿で駆け付けた嬢もいたという。
執行自体は、1分とかからなかった。
また処刑に使用されたギロチンは、「未亡人」という仇名で呼ばれていた。
人々はランドリュー亡き後、こう語ったという。
「『彼女』は、ランドリューが騙すことのできなかった唯一の『未亡人』だ」
★
完全なる金銭目的で、11人もの命を奪ったアンリ・デジレ・ランドリュー。
彼は女性達を食い物にしながらも、家庭では良き夫・良き父親を演じていた。
ちなみに喜劇王チャーリー・チャップリンの殺人狂時代は、ランドリューをモチーフにしているという。
生粋の詐欺師というものはどの時代にも存在しており、そういう人間に限って見た目だけでは判断できない羊の皮を被っているのだ。
おかしいと感じた際には自分の判断だけでなく、第三者の意見に耳を傾けることも大切だと分かる事件である。
ルドルフ

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