辺獄インフェルノ

世界の怖い事件をまとめています

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このブログでは、実際に起きた事件や人間のドラマを
静かに、丁寧に語り継いでいきます。

リチャード・ラミレス

謎めいた犯行

恐怖のナイトストーカー

 

 

 FBIになったつもりで想像してください。

 初めの被害者は白人のおばあさん。

 次の被害者はアジア系の男性。

 だけど次の被害者は命が助かっていて、他の現場ではお金が盗まれたり、盗まれなかったり。

 このちぐはぐな事件現場から、あなたならどんな犯人像を思い浮かべますか?

 この事件が起きたのは1984年のアメリカ。

 プロファイラーがお手上げ状態となった、シリアルキラーの許されざる犯行。

 逮捕のきっかけとなったのは3つのポイント。

 1つ目は犯人の適当さ

 2つ目は進化した技術。

 そして3つ目は――市民の激しい怒り

 

 

 1985年8月31日。

 アメリカ、カリフォルニア州 ロサンゼルス。

 ある男がコンビニへ入り、レジへ向かった。大好きなドーナッツとペプシコーラを購入するためである。

 しかし次の瞬間、ふと顔を上げた男の視界にとんでもないものが飛び込んでくる。

 なんと地元新聞の一面に、自分の顔写真がデカデカと掲載されていたのだ。

 気付けばレジの店員、周囲の客、みんなが自分をじっと見ている。

 いつの間に自分は、指名手配されていたのか――。

 男は慌てて店を飛び出し、休むことなく走り続けた。

 男の名前は、リチャード・ラミレス。

 約1年前から犯行を重ね、ここ最近になってようやく捜査線上に上がった男だった。

 

 

◆少年時代の兆候

 リチャード・レイヴァ・ラミレス

 1960年2月28日

 アメリカ、テキサス州 エルパソの生まれ。

 メキシコ移民である両親の間に生まれたラミレスは、本名をリカルド・レイバ・ムニョス・ラミレスという。

 7人兄弟の5番目の子として生まれたラミレスは、敬虔なカトリック教徒の両親によって育てられ、幼い頃には両親と一緒に教会へ通っていた。

 

 しかしラミレスは9歳になる頃から頻繁に万引きをするようになり、14歳でマリファナを覚え、着実に良くない道へと進んでいたという。

 一体何が原因でそうなってしまったのか?

 1つの説として、幼い頃に頭を打ち怪我をしたことで行動に変調が生じた可能性が指摘されている。

 これによってラミレスの脳に影響が及び、攻撃的な行動が引き起こされた可能性があるとのこと。

 また、両親が暴力的だった――つまり虐待されて育っていたという説もあるのだが、広く知られている幼い頃のエピソードといえば、ベトナム戦争から帰還した従兄弟・ミゲルの話である。

 ミゲルは戦地でのあれこれをラミレスに語って聞かせていたのだが、それは武勇伝や仲間との熱い友情の話ではなく、当時まだ11歳だった少年に聞かせて良いようなものではなかった。

 ミゲルの自慢話は、ベトナム人の女性をどのように辱め、どのように命を奪ったかというものだったのだ。

 話だけでなく、ミゲルはラミレスに写真を見せながら語っていたという。

 またそれから約2年後、ミゲルは自分の妻をラミレスが見ている前で手にかけ、ラミレスはその返り血を浴びたというエピソードもある。

 ラミレスは従兄弟の行動により、かなり強烈な体験をしていたのだ。

 ちなみに当然ながらミゲルは逮捕されたのだが、心神喪失により無罪。4年後に釈放されている。

 

 そんな従兄弟の影響かどうかは分からない。

 とにかくラミレスは若い頃から犯罪に手を染め、主に盗みを働いていたため、地元の不良少年たちからは「コソ泥リッキー」と呼ばれていた。

 少年らしくヘヴィメタルのファンになったのは良いのだが、教会に通って聖書を学ぶうち、ラミレスは悪魔に魅せられてしまった。

 熱心に悪魔に関する本を読むようになったが、現実世界のラミレスは非常に無気力で 高校の授業にも殆ど出ず、学校行事やイベントにも全く参加しなかった。

 そして17歳の頃に高校を中退。その後はマリファナの不法所持で三回も逮捕され、保護観察処分を受けたものの、間もなくして姿をくらませサンフランシスコへと向かった。

 

 1982年、ラミレス22歳。

 サンフランシスコに到着したラミレスは、親しくしていた年上の女性の家に転がり込み、翌年ロサンゼルスへ移るまで彼女の家で暮らしていた。

 

 83年になってロサンゼルスへ移動したはいいものの、その生活は酷いものだった。

 ラミレスはそんなに多くはない全財産をバックパックに詰め、安ホテルを転々とし、お金がなくなると路上で寝起きし、たまに窃盗をして生活していた。

 20代前半で完全なるホームレスとなっていたラミレスは、ドラッグに溺れ、その日暮らしで犯罪に手を染め、ロスへ来たその年に自動車の窃盗で5カ月の服役。その翌年にもまた自動車窃盗で36日の服役となった。

 またラミレスはコーラやドーナッツ、カップケーキなどの甘い物ばかりを食べ、それでいて衛生概念がなかったため風呂はおろか歯も磨かず、非常に不潔だったという。ジャンクフード生活で歯はボロボロになっていたそうだ。

 

 そうして2度目の窃盗による服役後、1984年6月28日。

 釈放されたラミレスは、ロサンゼルス、イーグル・ロック地区のアパートの部屋に押し入り、住人である80歳近い女性ジェニーに対して暴行を働いたうえ、ナイフをふるって命を奪った。

 ジェニーの遺体は必要以上に傷付けられ、今にも首が胴体から離れそうになっていたという。

 侵入口と思われる窓と網戸からは、ジェニーの物ではない指紋が検出されていた。

 だが当時はまだ指紋照合などの技術が発展していなかったため、これをラミレスに繋げることができなかった。

 これが、のちにナイトストーカーと呼ばれたリチャード・ラミレスの第一の犯行だった。

 

 

◆ナイトストーカーの犯行

 1985年3月17日。

 第1の犯行となるジェニー夫人の件から約9カ月後の深夜。

 ロサンゼルス近郊のアパートを歩きながら、ラミレスはどこかに良い獲物がいないかと目を光らせていた。

 すると、ガレージに車を入れ運転席から出てきた女性――マリア・ヘルナンデスを発見。

 ラミレスは所持していた銃でマリアを撃ち、彼女が倒れたのを確認すると部屋へ押し入り、マリアのルームメイトだった日系アメリカ人の女性デイル・オカザキの頭部を撃ちぬいた。

 その後部屋を出たラミレスは、ガレージ付近で倒れているマリアがまだ生きているのを発見した。数分前ラミレスがマリアに向けて撃った弾丸は車のキーに当たり、なんと奇跡的にマリアの命を救っていたのである。

 マリアは部屋の中から聞こえた銃声で、ルームメイトのデイルが撃たれたと確信したのだろう。

 ――もう奇跡は起こらない。

 今度こそ助からないと悟ったマリアだが、ラミレスはマリアをチラリと見ただけで、なんとそれ以上は何もせずに立ち去ったのだった。

 マリアはラミレスの顔をはっきりと見ていたし、現場にはラミレスが被っていたキャップも落ちていた。

 なぜラミレスは、マリアを見逃したのか?

 この理由は未だに判明していないが、ただ1つ言えるのは、決して優しさからくる行動ではないということだ。

 その証拠にラミレスは、マリアやデイルの部屋から立ち去った後、1時間もしないうちに第3の犯行に手を染めていたのである。

 ラミレスは通りで車に乗っていた台湾出身の女性、ツァイ・リアン・ユーを車から引きずりだし、何度も銃弾を浴びせて命と車を奪ったのだ。

 通りかかった人が慌てて救急車を呼んだが、女性は救急車が来る前に息を引き取った。

 

 第4の犯行はマリアとデイル、そしてツァイの件から僅か10日後、3月27日。

 ラミレスはロサンゼルス郊外でイタリア料理店を経営していた64歳のヴィンセント・ザザラと、その妻で44歳のマキシンを手にかけた。

 ヴィンセントは書斎のソファで撃たれ、マキシンは寝室で事切れていた。

 マキシンには強姦の形跡もあり、何と両目が取り除かれていたという。

 惨いことにこの夫妻を最初に発見したのは、帰宅した息子さんだったそうだ。

 1つ前のマリア達の件を第一の犯行として、警察は連続殺人鬼のしわざではないかと本格的な捜査に乗り出したが、具体的な成果は得られないまま次の事件が起きてしまう。

 

 第5の犯行はザザラ夫妻の事件から約2カ月後、5月14日。

 ラミレスは、定年退職して静かに暮らしていた日系アメリカ人の老夫婦、ウィリアムとリリアンの家を襲撃した。

 ウィリアムに銃弾を撃ち込み、家にあった現金や貴金属を強奪。

 そして妻のリリアンを強姦して逃走。

 

 2週間後の5月30日には第6の犯行に走り、民家を襲って12歳の少年をクローゼットに閉じ込め、少年の母親を強姦。この家からも金品を奪って逃走している。

 

 第7の犯行は同じ日、このすぐ後に行なわれた。

 83歳の女性と、その妹である80歳の女性がラミレスに襲われ、2日後の6月1日に瀕死の状態で発見された。妹は助かったが、姉は6週間後に息を引き取ったという。

 この姉妹の家の中も荒らされ物色された形跡があったが、これまでの犯行と違い、なぜかラミレスは姉の太ももに口紅で、悪魔のシンボルといわれる「五芒星のマーク」を描いていた。

 またこのマークは、妹の部屋の壁にも描かれていたという。

 

 姉妹が襲われた事件から約1カ月後、6月27日。第8の犯行。

 32歳の女性がアーケイディアの自宅で、喉を切られて絶命しているのが発見された。

 この頃になってマスコミはこの正体不明のキラーに対し「ナイト・ストーカー」というニックネームを付けた。

 

 約1週間後の7月2日には、同じアーケイディアで75歳の老婦人が喉を切られ命を奪われた状態で発見された。

 3日後、またもやアーケイディアで16歳の少女がラミレスに襲われ、その際にバールで殴られたが命は助かっている。

その2日後、61歳の女性が自宅で殴られ亡くなっているのが発見された。

 同日の夜、昼間に発見された女性の近所に住む63歳の看護師の女性が自宅で襲われ 金品を奪われた。

 

 その後もラミレスは犯行を繰り返すたびに狂気を加速させ、狙う相手も手口もますます全てが無差別という状態になっていった。

 

 7月20日。ガソリンスタンドを経営している夫婦に発砲して命を奪う。

 その数時間後。アジア人男性の一家を襲撃。男性に発砲し、妻と息子を襲った後で現金と貴金属を奪って逃走。

 8月8日。別のアジア人男性宅へ侵入し、男性に発砲。そのを襲っている。

 8月17日。中国系アメリカ人男性に発砲。そのにも発砲したが、彼女は命は助かっている。

 8月24日。コンピューター技師の男性と、その婚約者の家を襲撃。男性に発砲し女性を襲い、女性にはその後で悪魔に忠誠を誓わせる儀式をさせて立ち去った。この男性は頭を3発も撃たれたのだが、なんと一命を取り留めている。

 

 途中から明記していないが、ここまでにラミレスが行なった犯行はなんと17件

 いくつかの現場にはラミレスの私物が残されていたり、命が助かった被害者がラミレスの顔をはっきり見たりしていた。

 しかしロサンゼルス郡保安官事務所は、これら一連の犯行をなかなか同一犯のものと発表できずにいた。ラミレスの犯行が、往来のプロファイリングが描く犯人像からとにかくかけ離れていたからだ。

 犠牲者の人種や年齢・性別もバラバラで、現場では金を盗んだり盗まなかったり、命を奪ったり見逃したり、一貫性が全くないのである。

 

 それでも第1の犯行から約1年が経過した1985年の6月には、ようやくこの一連の犯行は連続殺人事件であると断定。

 ただちに特捜班を編成し、ロス市警察本部も独自の捜査班を設置。保安官事務所の特捜班と合同捜査チームを編成した。

 200人を超える捜査員が集結し市民に情報提供を呼びかけ、同時にマスコミを使って 「ナイト・ストーカーの正体を警察がほぼ掴んでいる」という報道を行なった。

 犯人に対し「もうお前の正体は分かっているぞ」とプレッシャーをかけるためである。

 その間にも7月・8月と、ラミレスは前述の通りの犯行を繰り返していたのだが、少しずつ包囲網を狭めてゆき、警察は着実にリチャード・ラミレスに近付いていったのだった。

 

 

◆ナイト・ストーカーの終焉

 ロス市警の大々的な捜査が始まった結果、多数の近隣住民からラミレスの車の目撃証言が寄せられた。

 また、ラミレスの友人を名乗る人物も警察に情報を提供。その特徴がナイト・ストーカーと一致した。

 そうして決定的だったのが、ラミレスの物と思われる車が乗り捨てられているのが見つかったことである。車からは驚くほど丁寧に指紋が拭き取られていたが、たった1つだけ、かろうじてラミレスのものと見られる指紋が発見された。

 FBIはその報告を受け、最近になって導入されたばかりの指紋検索データベースを使用。

 しかしこのFBIのシステムより早く、日本電気製指紋システムに指紋照合の要請が出され、チームの責任者である日本人のエンジニア達が一昼夜かかって指紋照合を行なっていた。

 そうして見事――車から見つかった指紋と、前科者であるラミレスの指紋が一致したのである。

 もちろんFBIも指紋の照合に成功。当局は緊急記者会見を開き、ナイト・ストーカーの正体はリチャード・ラミレスであると断定。直ちに指名手配が行なわれたのだった。

 

 しかし当のラミレスは、自分が指名手配犯になっているなど全く想像もしていなかった。

 薬物を購入するため少しの間アリゾナへ行っていたラミレスは、ロサンゼルスに戻ってきてからも変装など一切することなく、堂々と町を歩いていた。

 そうしていつものようにコンビニへ入り、大好きなドーナッツとペプシを買うためレジへ行く。

 そこでようやく、地元紙の一面に自分の顔がデッカく載っていることに気付いたのである。

 

 慌てたラミレスはすぐさまコンビニを出て走り出した。

 途中で3回、無関係な人の車を奪おうとしたものの失敗。そのままラミレスは、自分と同じヒスパニック系の人々が住む地区へと逃げ込んだ。

 

 ――きっと同胞ならば、同情して助けてくれるに違いない。

 

 ラミレスはそう思い込んでいたのだが、それはあまりにも甘すぎる考えだった。

 ただでさえ日頃から人種差別を受けていたヒスパニック系住民の人々は、「ナイト・ストーカーの正体がヒスパニック系男だった」ということで、更に世間から白い目で見られていたのだ。

 つまり彼らはラミレスに同情などするはずもなく、逆に激しい怒りを抱いていたのである。

 警官が駆け付けた時、ラミレスは住民によってボコボコにされており、警察に対して助けを求めていたという。

 

 逮捕され起訴されることとなったラミレスだが、弁護士を選ぶのに何人も時間をかけたり、「裁判の場所が犯行現場に近い」などとケチをつけたりして、実際に裁判が始まるまで何と3年半もかかっている。

 裁判中も悪魔のシンボルを見せたり判事に無礼な発言をしたりと、酷いパフォーマンスをしていたようだ。

 しかも逮捕時の不潔なルックスから一転、義歯をつけて髪も切って整えたため、一部のプリズングルーピーがラブコールを送るようになった。

 

 そうして裁判の結果、ラミレスは13件の殺人と5件の殺人未遂、その他の重罪についても有罪とされ、死刑判決がくだされた。

 1996年の10月、36歳の時にグルーピーの女性と獄中結婚。女性はラミレスの無実を信じ、数十通の手紙を書き、週4回面会していた。

 だが女性の家族は当然ながらこれに反対しており、最終的に彼女を勘当したという。

 死刑囚のラミレスにとって、彼女は唯一の心の支えだったのかもしれない。

 しかし、のちにラミレスが幼い少女へ酷いことをした事件が発覚すると、正式な離婚はしなかったものの、女性はラミレスとの関係を絶ったそうである。

 

 そうして2013年6月7日。

 リチャード・ラミレスは24年間拘留された後、B細胞リンパ腫に関連する合併症により53歳で亡くなった。

 長年の薬物乱用による血液感染が、発症の原因だった。

 

 

 ★

 

 

 多くの人を傷付け命を奪ったナイト・ストーカー、リチャード・ラミレス。

 幼い頃の体験や頭の怪我、元々のサディスティックな性格など、様々な要因が重なって行動が形成されたと考えられるが、ラミレスの動機や心理は解明されていない部分も多い。

 ラミレスは生前、一般市民から送られてきたアンケートの手紙の中で、こんな回答をしている。

 ・子供の頃のヒーローは? ――切り裂きジャック。

 ・好きな映画は? ――悪魔のいけにえ。

 ・1番怖いことは? ――何もないけど、怪奇現象とか?

 ・犯罪に関する意見はあるか? ――車と同じで運転するか、ぶつけられるか。つまりは「やるか、やられるか」。

 ・人間の嫌いなところは? ――全て。

 

ルドルフ          

 

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