狂気の一夜
雇い主とメイドの姉妹

メイドさんというと、どんな生活を想像しますか?
ご主人様の家で掃除洗濯、可愛いエプロンを着けて駆け回り、ちょっとのドジも笑顔でカバーするような、可愛いメイドさん。
もちろんそれは、フィクションの中の話。
この事件が起きたのは1933年のフランス。
この頃のメイドという職業は、本当に過酷なものが多かった。
子供の頃から働くことも多く、現在では考えられないほど辛い目に遭った人達もいた。
現代でも数々の作品のモデルとなっている、フランスのとある姉妹。
メイドとして働いていた彼女達はなんと――雇い主の目玉をくり抜いたのである。
1933年2月2日。
フランス、シャルト県 ル・マン。
この日、ランセラン家の主人は夕食を共にするため友人の家にいた。
夕食会には妻と娘も来るはずなのだが、いつまで経っても2人は現れない。
痺れを切らしたムッシュー・ランセランは、一度友人の家を出て妻子の様子を見に行くことにした。
しかし家には鍵がかかっており、中から誰も出てこない。
窓から見ても部屋の中は暗く、静まり返っている。
妻と娘はいないのだろうか、それならなぜ夕食会に現れないのか?
ふと見ると、屋敷の屋根裏部屋の窓からろうそくの灯りが漏れている。
屋根裏部屋は、この家のメイドの部屋となっている場所だった。
メイドがいるのに誰も家から出てこないことを不審に思い、ムッシュー・ランセランは警察に通報をした。
駆け付けた警察が後ろの壁を乗り越えて家に侵入。
すると屋敷の中で、ランセラン夫人と、27歳の娘・ジュヌヴィエーヴが倒れていたのである。
2人が死んでいるのは一目瞭然だった。
何故ならその顔は誰か分からないほどに殴打されて腫れあがり、娘のジュヌヴィエーヴの片方の目は床に転がっているという状態だったからだ。
ランセラン夫人の目も左右くり抜かれており、その眼球は夫人が首に巻いていたスカーフの中から出てきたのである。
また2人の爪は全て剥がされ、床にはおびただしい量の血が広がっていた。
そうして階段の上には包丁、ハンマー、ピューターポットが置かれており、恐らくはそれが凶器と思われた。
「一体どういうことだ、メイドは何をやっている!?」
警察とムッシュー・ランセランがメイドの部屋に駆け込むと、この家で雇われているメイドの姉妹は、部屋のベッドで寄り添うように眠っていた。
クリスティーヌ・パパン
レア・パパン
パパン姉妹は約7年前からランセラン邸のメイドとして、住み込みで働いていた。
夫人と娘の目玉をくり抜き顔の形が分からなくなるほど殴打するという、この恐ろしい事件。
それはまさに、パパン姉妹の仕業だったのである。
◆姉と妹
姉 クリスティーヌ・パパン、1905年3月8日生まれ。
妹 レア・パパン、1911年9月15日生まれ。
2人はル・マンの南にある村で育った。
2人の更に上には、長女エミリアがいた。しかしパパン一家の事情は少し複雑で、次女クリスティーヌは生後すぐに父方の叔母の元へと預けられた。
叔母夫婦はクリスティーヌに優しく、彼女は7年間そこで暮らしていた。
一方で三女のレアは母方の叔父に引き取られ、叔父が亡くなるまでそこで一緒に暮らしていた。
長女エミリアは両親の元で育てられたが、エミリアが10歳の頃、父親であるギュスターヴに乱暴されたという疑いが浮上した。
その真偽ははっきりしていないが、母クレメンスは「エミリアの方が父親を誘惑したのだ」と決めつけ、彼女をカトリック系孤児院に入れてしまった。
その後すぐクリスティーヌとレアも同じ孤児院へ入り、ここで初めて姉妹3人が揃った。
母クレメンスは、娘たちが15歳になるまで孤児院に入れておくつもりだった。
15歳になれば、働きに出られるからである。
しかしギュスターヴとクレメンスはその後まもなく離婚。
1918年になるとエミリアは孤児院を出て修道院に入ることを決め、家族との関係を断ち切り行ってしまった。
エミリアは生涯、修道院で過ごしていたという。
クリスティーヌもエミリアと同様修道女になりたいと申し出たが、それを母クレメンスは許さなかった。
その代わり修道院で家事の訓練を受けることを許可し、クリスティーヌと三女のレアは、住み込みのメイドとして修道院で働き始める。
クリスティーヌは時折頑固な部分もあったが、基本的に学ぶことには真剣で料理も上手だった。
レアの方は内向的で従順という評価を得ており、修道院の責任者は2人の働きぶりを高く評価していた。
しかし、母クレメンスは全く満足していなかった。
2人も修道院で働かせているのに、「給料が少なすぎる」と不満を抱いていたのだ。
そのため母はより給料の良い所を見つけるため、姉妹を様々な家で働かせるようになった。
クリスティーヌとレアは2人一緒で働きたいと、強く希望していたという。
◆姉妹の苦難
1926年。
これまで色々な家でメイドとして働いていたパパン姉妹は、この年からブリュイエール通りにあるランセラン家で働くこととなった。
この時、クリスティーヌは21歳。レアは15歳。
姉妹は新たな家で黙々とメイドの仕事をこなしていたが、この家の住人――特に奥様のランセラン夫人はとても厳しい女性だった。
いや、厳しいどころではなくかなりキツい性格で、ことあるごとに姉妹を叱りつけ 時には折檻していたという。
パパン姉妹は1日に12時間から14時間働き、休みは週に半日しかなかった。
外へ出ることを禁じられて友人も作れず、掃除の際には埃一つ残らないよう言いつけ、掃除が終わると夫人自らが白い手袋をはめ、埃がないかどうかあちこちを指で擦って回っていたという。
一説ではこの時点でランセラン夫人がうつ病を患っており、その反動で姉妹にきつくあたっていたと言われている。
そうだとしてもその行動は常軌を逸しており、時には言いつけ通りにしなかった罰として姉妹の頭を壁に叩きつけたこともあった。
しかもこの生活は6年間続いたのだが、その期間姉妹の働いた分のお給料は、全て姉妹の母クレメンスの懐に入っていたのである。
それでも命に危険が迫るほどのことはなかったようで、不衛生な屋根裏部屋をあてがわれはしたものの暖房をつける許可は出されていたし、食事も与えられていた。まあ、当たり前のことなのだが。
とにかく小言を言われない日はなかったため、姉妹は夫人に対してビクビクしながら働いていた。
1933年2月1日。
クリスティーヌがアイロンをかけていると、ヒューズが飛んでしまったことがあった。
これに対してランセラン夫人は怒り狂い、口汚く姉妹を罵ってから酷い折檻をした。
その翌日は家人が皆出掛けており、パパン姉妹2人だけで留守番をしていた。
夜にはご主人の友人の家で、夕食会が開かれる予定である。
いつもと同じく仕事をしていた2人だが、怖い奥様が家にいないことで多少はのびのびとできていたかもしれない。
しかしその時、またしても仕事中にヒューズが飛んでしまった。
――昨日もこれで、奥様に凄まじく叱られた。
姉妹は震え上がり、しかしどうすることもできずに身を寄せ合っていた。
そこへ、出掛けていたランセラン夫人とお嬢様のジュヌヴィエーヴが帰ってきてしまう。
パニックの頂点に達した姉妹は手近にあった凶器を手に、2人に襲い掛かったのだった。
この事件は、追い詰められた姉妹が発作的に雇い主に襲い掛かってしまったと見られている部分もあるのだが、目をくり抜いたり爪を剥がすなど――これまでの怨みが込められていると思われる部分もある。
2人を手にかけた姉妹は自分達の屋根裏部屋に戻り、警察が踏み込むまで抱き合って目を閉じていた。
◆姉妹の裁判
犯行日の夜に警察に踏み込まれ、逮捕されたクリスティーヌとレア。
裁判にかけられた2人は罪を認め、なんと罪を擦り付け合うのではなく、「全ては自分がやったことだ」とお互いを庇い合ったのである。
投獄中、クリスティーヌは「レアに会いたい」と何度も懇願したという。
1度だけレアに会わせてもらえた時、クリスティーヌは「お願いだからイエスと言って」と、レアの服を脱がせようとした。
2人の間に姉妹愛を越えた何かがあった――或いはクリスティーヌがレアに対して血筋も性別も越えた感情を抱いていたといわれる所以が、この投獄中のエピソードだ。
しかし再び姉妹は引き離され、クリスティーヌの精神は急速に不安定になっていった。
「妹を返して!」
何度も叫び、自分の目をくり抜こうとしたりパニック発作を起こすなどしていたクリスティーヌは、最終的には拘束衣を着せられるほどだった。
のちにクリスティーヌが刑事に語ったところによると、犯行当日もこのようなパニック発作の症状が出ていたという。
報告を受けた弁護士は、2人の姉妹が犯行当時、心神喪失状態だったとして無罪を主張。
またその後の裁判で、2人の家系の者に精神疾患を患っている人物がいるということが明らかになった。姉妹の叔父は自ら命を絶っており、いとこは精神病院に入院していたのだ。
しかしパパン姉妹は無罪とはならず、レアには懲役10年、主犯とされたクリスティーヌには当初ギロチンによる死刑が言い渡されたが、のちに終身刑に減刑となった。
レアは模範囚として過ごしていたため8年で社会復帰。
母親と暮らし、その後はホテルのメイドとして働いていたという。
クリスティーヌは最後まで「レアに会いたい」と懇願していた。
そして抗議の気持ちの表れか、出された食事を取らなくなった。
意志を貫いたクリスティーヌは日に日に瘦せ衰えてゆき、1937年5月18日、32歳で亡くなった。
今現在、パパン姉妹はフランスのブテルリーにて同じ墓に眠っているという。
この事件はこうした姉妹の不遇さ、そして「労働者階級が上流階級に立ち向かった」という展開から、舞台や本・オペラに映画など多くの作品のモデルになった。
一番有名なのは、ジャン・ジュネの戯曲「女中たち」だそうだ。
★
雇い主の家でこき使われ、突発的な犯行に走ってしまったパパン姉妹。
現在は労働法により最低賃金や労働時間、休暇などの保護措置が設けられているが、当時は子供でも働きに出されることが多く、悲惨な環境に置かれる人達も珍しくなかった。
本事件はそういった人達の復讐劇のような一面を持っていたこと、姉の妹に対する家族愛を越えた執着心が劇的であったことなどから、多くの作品のモチーフとなっている。
事件そのものは許されることではないが、2人一緒に埋葬されたと聞いた時、僕は少しホッとしてしまった。
ルドルフ

本事件を動画で見たい方はこちら
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