ニューヨークの悪魔
サムの息子と狂気の犯行

お前に女嫌いと呼ばれて、俺はひどく傷付いた。
そいつは違う、俺はモンスターだ。
親父は酔っぱらうと手が付けられなくなる。
家族をぶん殴って、俺を家の裏に縛り付けたりもする。
外で人の命を喰らってこいと、親父が俺に命令するのさ。
警察ども、俺を撃って終わらせろ。
できないなら俺の前に現れるな。
さもないと命はないものと思え。
俺はモンスターだ。
俺は、「サムの息子」だ。
1977年8月10日。
アメリカ、ニューヨーク州 ブルックリン。
この日、地元警察の間にかつてないほどの緊張が走っていた。
午後10時頃――。
張り込んでいたアパートから1人の男が出てきて、どこかへ行くのか車に乗り込んだ。
その瞬間を見計らい、警官たちが飛び出してゆく。車に向けられた銃口は、運転席の男をはっきりと捉えていた。
男は、うっすらと微笑んでいた。
1年前の1976年7月から始まり、15人が襲われ、そのうち6人が命を奪われた事件。
いずれも若い女性が狙われており、ニューヨークはこの1年 恐怖と暗雲に包まれていたのだ。
この一連の犯行を起こした男の名前は――
「デビッド・バーコウィッツか?」
警官がそう訪ねると、運転席の男が言った。
「いいや、僕はサムの息子。……随分と時間がかかったね」
◆44口径キラー
事の始まりは、1976年7月29日。
ニューヨーク市の北・ブロンクスで起きた女性襲撃事件だった。
午前1時頃、静まり返った住宅街。
当時18歳のドナ・ローリアと 19歳のジョディー・ヴァレンティー。
ドナの家の前で車を停め、2人は仕事のことや恋愛について楽しくお喋りをしていた。
そろそろお開きにしようということで、ドナが車を降りるためドアを開ける。
そこでふとドナが前方を見ると、見知らぬ男が数メートル先に立ちこちらを見ていた。
男は手にした紙袋の中にもう片方の手を入れ、何やら取り出そうとしている。
そして袋から取り出した銃をドナに向けて引き金を引いたのである。一瞬の出来事だった。
首を撃たれたドナはその場にくずおれ、それを見ていたジョディーが悲鳴をあげた。
男はなおも銃口を向けたままこちらへ近付き、今度は運転席のジョディーに発砲。
太ももを撃たれたジョディーがハンドルの上に倒れこみ、静寂の住宅街にクラクションが鳴り響く。
犯人の男は大きな音に驚いて逃走。ジョディはすぐさま住民に発見されて事なきを得たが、初めに撃たれたドナはそのまま息を引き取った。
警察がジョディーに事情聴取をしたところ、犯人は30代の白人男性、身長173センチほど、体重は90キロほど、カールしていた髪の色は暗く短かったという情報を得た。
亡くなったドナの父親は、ジョディの言う男と似ている人物が「黄色い車に乗っているのを見た」と主張。
近隣住民も事件当日の夜、「見慣れない黄色い車が近所を走っていた」と情報提供をした。
警察は、犯行に使用された銃が44口径ブルドッグであると断定。
約3カ月後の10月23日、クイーンズ区フラッシングの静かな住宅地でまたもや女性が襲撃される事件が起きた。
クイーンズ大学に通っていた18歳のローズマリー・キーナンと、その日ローズマリーとバーで出会った20歳の男性、カール・デナーロである。
バーで意気投合した2人はどこか静かな場所へ行こうと車に乗り込んだのだが、その瞬間を襲われた。
突如として5発の銃声が鳴り響き、車の窓ガラスが粉々に砕け散る。
車の所有者であるローズマリーが助手席を見ると、カールが高等部を撃たれ血を流しているのに気が付いた。
ローズマリーは慌てて車を発進させ、謎の襲撃犯から逃げることができたのである。
5発撃ち込まれたが奇跡的にローズマリーに弾丸が当たることはなく、カールも頭に負傷したが命は助かった。だがカールはその怪我が原因で、予定されていた空軍への入隊が叶わなかったという。
1件目のブロンクスと今回のクイーンズは異なる行政区・異なる警察の管轄区だったため、警察は当初2件の犯行を関連付けることはなかった。襲われた2人も、犯人の姿を見ていなかったのだ。
ただ車に残った弾丸は44口径であり、頭を撃たれたカールは髪の毛を肩まで伸ばしていたため、「女性と間違われて撃たれたのではないか」と推測された。
約1カ月後の11月27日、クイーンズのフローラル・パーク地区。
真夜中、当時16歳のドナ・デマシと18歳のジョアン・ロミノの2人は、映画を観た後で歩いて帰宅し、ジョアンの家の玄関前に座ってお喋りをしていた。
その時、家の前を1人の男が通りがかった。
何となく男に顔を向けてた少女たち。
すると目が合った瞬間、男は突然歩みを変更し2人に向かって歩き始めたのである。
そうして男は、「道を教えてくれるかな」と言いながら銃を取り出し、2人に向かって発砲した。
ドナは首を撃たれ、ジョアンは背中をまともに撃たれてしまう。
幸いなことに2人は命は助かったが、背中を撃たれたジョアンは下半身不随となってしまった。
この時も銃声を聞いた近隣住民が家から飛び出し、左手に拳銃を持った金髪の男が走り去るのを目撃している。
2カ月後の1977年1月30日、クイーンズのリッジウッド地区。
この日30歳のジョン・ディールと、彼の婚約者で26歳のクリスティン・フロイントは、映画『ロッキー』を観た後、ダンスホールへ向かうため車に乗り込んだ。
するとその瞬間3発の銃声が鳴り響き、車に物凄い衝撃が走った。
粉々に割れたのは助手席の窓ガラスだ。
頭を撃たれたクリスティンは血塗れでジョンの方へ倒れ込み、銃撃されたと理解したジョンは慌てて車を走らせた。
クリスティンは数時間後に息を引き取り、ここでようやく警察は一連の事件が同一犯によるものだと気付いたのである。
全ての犯行に44口径の銃が使用されており、マスコミは謎の犯人をフォーティーフォーキラー(44Killer)と呼んで連日報道を行なった。
それから1カ月と少し、3月8日の午後7時半頃。
リッジウッド地区の近くを歩いていた当時19歳のヴァージニア・ヴォスケリアンが、学校からの帰宅途中に銃撃された。
ヴァージニアは銃を構える男を見て咄嗟に教科書を持ち盾にしたが、数回放たれた弾丸は教科書を貫通し、最終的にはヴァージニアの頭に命中。彼女はその場で息を引き取った。自宅まであと200メートルという距離だった。
翌月の4月17日 午前3時頃。
20歳のアレクサンダー・エサウと、その恋人で18歳のヴァレンティナ・スリアーニが デートの終わりに車の中でお喋りしていた。
そこへ、44キラーが出現。
2人は座ったままの状態で2回ずつ撃たれ、ヴァレンティナはその場で亡くなり、アレクサンダーも搬送先の病院で息を引き取った。
この時現場には、犯人のメッセージが残されていた。
封筒に書かれた宛先は、当時のニューヨーク市警のジョセフ・ボレリ警部だった。
ボレリ警部はマスコミのインタビューで「犯人は女性を嫌悪している」と推論を述べていたのだ。
お前に女嫌いと呼ばれて、俺はひどく傷付いた。
そいつは違う、俺はモンスターだ。
俺はサムの息子だ、ちびの悪ガキさ。
サムは血を飲むのが好きでね、外で人を殺してこいと親父が命令するんだ。
(中略)
俺は狩りが大好きだ、通りをうろついて獲物を探す。
クイーンズの女が一番いい。俺は狩りのために生きている、親父の血のために。
警察ども、この言葉をよく覚えておけ。
I'll be back, I'll be back.
つまりこういうことだ。
BANG,BANG,BANG,BANG,BANG ――うわぁ!

この不気味なメッセージの宛先がはっきりとボレリ警部になっていたため、警察ではボレリ警部にも秘密ですぐさま彼の自宅周辺の警備を行なったという。なぜならボレリ警部には、4人の娘がいたからだ。
また1カ月後の6月1日には、デイリー・ニュース紙の記者のもとに同じ筆跡の手紙が届いている。
内容は始めの犯行で亡くなったドナ・ローリアのこと、父親だというサムなる男の恐ろしさなどが乱暴な言葉を使って書かれていた。
デイリー・ニュースは長々と書かれた犯人からの手紙を、少しずつ日数をかけて紙面で公表。この時期の売上を大幅に伸ばしたという。
こうして44キラーは「サムの息子」と呼び名を変え、ますますニューヨークじゅうを恐怖で覆いつくしていくのだった。
黒髪でロングヘアの女性が狙われることが多く、該当する髪型の女性たちは慌てて髪を染めたり切ったりしたとかで、美容院が満員になっていたという。
目撃者によるモンタージュ写真もたくさん作られたが、犯人が変装している時もあって、なかなか逮捕に繋がらなかった。
◆モンスター:「Son of Sam」
サムの息子による恐怖はニューヨーク市民を震えあがらせ、女性たちに髪型を変えさせ、深夜の外出を控えさせた。
また、なかなか犯人を捕まえることができない警察へも市民は不満を募らせていた。
怯えていたのは女性たちだけではない。娘を持つ親やその家族、恋人、全ての人々がサムの息子を恐れていた。
そんな中、またしても事件は起きてしまったのだ。
6月25日。
17歳のジュディー・プラシードと20歳のサルヴァトーレ・ルポが車の中で喋っていたところ、3発の銃撃を受けたのである。
幸い弾丸が急所を外れたため2人の命は助かったが、右肩や首を負傷したジュディーは錯乱し、サルヴァトーレも犯人の顔を見ていなかった。
この頃になると「警察に代わってサムの息子を捕まえようとする人達」が現れ、腕自慢の男たちが深夜の徘徊をすることもあったという。
当然警察も警備を強め、おとり捜査で男女の警官がコンビを組み、カップルを装って車で待機することもあった。
7月31日。
クイーンズの警備の強化が裏目に出たのか、次の事件はブルックリンで起きた。
ステイシー・モスコウィッツと、恋人のロバート・ビオランテ。
お互い二十歳の2人は付き合ったばかりで、その日は初めてのデートだった。
映画を観た帰り、お喋りをしながら車に乗る。
そんな幸せの絶頂に現れたのが、サムの息子だった。
車の窓ガラスが割れ、ステイシーの悲鳴が響く。
ロバートは顔を撃たれたため視覚を失い、鼓膜が破れたために聴覚までをも瞬時に失った。
静寂の暗闇に取り残されたロバートが次に意識を取り戻したのは、病院のベッドの上だった。
一緒にいた大切な恋人、ステイシー。
ロバートが彼女の死を知ったのは、その後まもなくのことである。
その事件から3日後、現場付近に住んでいるカシリアという女性から目撃証言が寄せられた。
まず事件当日の夜に恋人と出掛けていたカシリアは、消火栓の脇に停められていた黄色い車に対し、警官が駐車違反の切符を切っているのを見た。
警官が去った後、車の持ち主と見られる男がやってきて切符をむしり取った。
その後カシリアは帰宅し犬の散歩に出掛けたのだが、その時にもまた黄色い車の持ち主の男を見たのである。
男は右手に何かを持っており、カシリアは嫌な予感がしたため自宅に走ったという。
そうしてそのすぐ後で、背後から銃声が聞こえたというのだ。
カシリアの情報を受けた警察が駐車違反の車を調べると、確かに該当する黄色い車があった。
車の持ち主は、デビッド・バーコウィッツ。
ヨンカーズのパイン・ストリート35番地に住んでいる男だった。
念には念をということで、事件を担当していたジェームズ・ジャスティス刑事は早速ヨンカーズの警察に連絡を入れた。
「ヨンカーズの管轄であるデビッド・バーコウィッツについて知りたいのですが」とジェームズが電話交換手の女性に申し出ると、その時に交換手を担当していた女性が驚きの声をあげた。
どうしましたと訊ねると、なんと女性は信じられないことを言い出したのである。
「バーコウィッツって、私達のすぐ近くに住んでいる男よ。私達家族は、バーコウィッツが一連の事件の犯人じゃないかって話してたの」
「何ですって、詳しく話してください」
「だってあの男は、私の父に悪質ないやがらせを繰り返しているの。父の愛犬を銃で撃ったりもしたのよ!」
「あの、あなたのお名前は?」
「私の名前はウィート・カー。父の名前は『サム』。サム・カーよ」
……バーコウィッツなる男のサム・カーへの嫌がらせは、愛犬に対する苦情のメモ、火炎瓶の投げ込み、愛犬への銃撃など多岐にわたっていた。
ちなみにサムの愛犬は無事であり、悲惨なことにはなっていないので安心してほしい。
またサムの家だけでなく近隣住民も銃撃や放火などの被害に遭っていたのだが、バーコウィッツが犯人である証拠が掴めず、訴えることができずにいたという。
情報を受けてから警察がバーコウィッツの車を調べたところ、別の警視監に宛てた手紙を発見。
便箋には今後の犯行予告が書かれており、筆跡はサムの息子と同じであった。
こうしてサムの息子の正体が、デビッド・バーコウィッツという男だと判明したのである。
間もなくしてアパートから出てきた男が、自分の黄色い車に乗り込んだ。
車を取り囲んだ警官たちが銃を向け、大声で叫ぶ。
「デビッド・バーコウィッツか!」
運転席の男は、ニッコリ笑って言った。
「いいや、僕はサムの息子。随分と時間がかかったね」
そして、こうも言ったという。
「君たちの勝ちだ」
◆少年期と人生
デビッド・バーコウィッツ。
1953年6月1日。
アメリカ、ニューヨーク州 ブルックリンの生まれ。
生まれた時の彼は、リチャード・デビッド・ファルコという名前だった。
赤ん坊は、あまり歓迎されない中でこの世に誕生した。
彼を産んだ母はウエイトレスの仕事をしており、彼の父となる男は既婚者――つまり母の不倫相手だったのだ。
父親は当然赤ん坊を認知せず、母は途方にくれることとなる。
そうして母親は、生まれた息子を養子に出すことにした。
養父母は子供のいないバーコウィッツ夫婦で、赤ん坊のファーストネームとミドルネームを入れ替え、自分たちの苗字を与えた。
そうして赤ん坊の名前は、デビッド・リチャード・バーコウィッツとなったのである。
バーコウィッツ夫妻は小さな金物店を営んでおり、それほど収入は多くはなかったが、引き取った子供を一人っ子として大切に育てていた。
しかし当時のことを調べていたジャーナリストによると、少年時代のバーコウィッツには多くの問題があったという。
頭は良く平均以上の知性を持っていたが学ぶことに興味がなく、それどころか物を盗んだり火を使って遊んだりと、幼い頃から危険な兆候が表れていた。
またバーコウィッツは養父母から甘やかされていたようで、いじめっ子で乱暴者な性格になっていたという。
しかし少年バーコウィッツの窃盗や放火が法的問題に繋がったり、学校の成績に悪影響を与えることはなかった。
これが何故なのかは分からない。
単純に子供の万引きや火遊びと見られていたのだろうか。
養父母はカウンセラーに相談していたが、結局何をしてもお咎めなし状態だったため、バーコウィッツの性格は特に改善されることなくそのまま育っていったのである。
14歳の時に養母が病気で亡くなり、養父が再婚すると、バーコウィッツは家にあまり帰りたがらなくなった。
そのため高校卒業後はすぐに軍に入隊し、韓国へ送られることとなった。
そこでバーコウィッツは娼婦の女性を買ったのだが、初体験のこの時にその女性から性病を移されたという。
バーコウィッツの女性との性行為は、この時が最初で最後となったそうだ。
また除隊後に実の母親と再会したのだが、母親にバーコウィッツと一緒に暮らすという意思はなかった。
幼い頃の放火癖も治っていなかった。
バーコウィッツの日記によると、一連の事件を起こす前になんと1488件も放火しているという。
ナイフで女性を襲ったこともあった。
襲われた女性は怪我を負ったが命を落とすことはなく、バーコウィッツの犯行が報道されることはなかったという。
当時のニューヨークは壊滅的に治安が悪く、警察もメディアも細かい犯罪に構っていられなかったのだろう。それほど毎日のように凶悪な犯罪が起きていたのだ。
そこでバーコウィッツは凶器をナイフから44口径の銃に変更し、一連の犯行に及んだのである。
それでは、メッセージに書かれた「サムの息子」とはどんな意味があるのか。
それはウィート・カーが情報提供した通り、彼女の父親のサム・カーと彼の愛犬が関係していた。
サムは、黒い毛並みが美しいラブラドールレトリバーを飼っていたのだが、バーコウィッツは何故か「その犬に3000年を生きる強力な悪魔が乗り移っている」と主張。
そうして毎晩バーコウィッツに吠え、「女を襲え、命を奪え」と命令したというのだ。
もちろんこれは、バーコウィッツの考えた嘘である。
バーコウィッツはこの主張を通そうとしたが、かの有名なFBI心理プロファイラーのロバート・K・レスラー氏と面接をした時、これ以上嘘は通じないと判断したバーコウィッツが、犬の悪魔の件は「精神異常を狙うためだった」と白状したのである。
女性を襲ったのは、自分を捨てた母親に対する怒りと、女性と上手く付き合うことができないことへの苛立ちからくるものだったという。
バーコウィッツは6件の殺人で有罪となり、禁錮365年の刑がくだされた。
現在70歳の彼は、仮釈放の申請を一切拒否しているという。
辺獄で紹介できるのはここまで。
判決後のバーコウィッツが改心し慈善活動をしたとか、悪魔主義に関わっていたとか、こんにちまでに色々なエピソードがある。
またネットフリックスでは「サムの息子たち」というドキュメンタリーが配信されており、そこでは複数半説が語られている。
興味のある人はぜひ調べてみて、本当のデビッド・バーコウィッツがどんな人間なのか考えてみてほしい。
★
身勝手な動機から罪のない人々を襲ったデビッド・バーコウィッツ。
サムの息子などと意味ありげな名前を名乗りながら、蓋をあけてみれば女性にコンプレックスを持つ1人の平凡な男だったのである。
もちろん複数犯説や、本当のサムの息子が絡んだカルト団体説なども非情に興味深いのだが、いま現在真相は闇の中ということで、被害に遭った方達のためにもいつか白黒はっきりさせて頂きたく思う。
ルドルフ

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