成長する闇
死を愛したパリの吸血鬼

カニバリズム──
人を食うこと、特に呪術的信仰から・また宗教儀礼として人肉を食う慣習。
このチャンネルでもいくつかカニバリズムの事件を紹介しているが、逮捕された彼らはその後、どんな人生を歩んでいくのだろう?
そういう意味では、彼ほど人生が反転した男もいないと思う。
この事件が起きたのは今から1994年のフランス。
幼い頃から抱いていた闇への憧れ。
それが爆ぜたとき、男は取返しのつかない犯行に走ってしまった。
吸血、食人、そして――
しかし驚いたことにこの男、今は人気アーティストなのである。
1994年11月15日。
フランス、パリ。
この日警察は、ムーラン・ルージュというナイトクラブの前で女性と口論していた1人の男に声をかけた。
パリじゅうの警察署に出回っていた男の顔写真、そして目の前にいる男。
全身のタトゥー、パンクロッカーのような風貌。
――間違いない、こいつだ。
男の名前は、ニコラス・クロー。病院の遺体安置所に勤務している22歳。
のちに警察が男の家を調べると、おびただしい数の不気味な物が出てきたのである。
人間の物と思われる大量の骨。
冷蔵庫の中に詰め込まれたたくさんの血液バッグ。
人の灰が入れられた葬儀用の壺。
何本ものボンデージ系のビデオ。
解剖の本。
そして犯行に使われたと見られる拳銃。
ニコラス・クローという男を知るには、あまりにも充分すぎる品々だった。
◆魅了された男
ニコラス・クロー。
1972年3月22日 カメルーンの生まれ。
一人っ子として生まれたニコラスは、生まれはカメルーンでも両親はフランス人である。コンピューター技術者だった父親は各国を飛び回ることが多く、カメルーン滞在時にニコラスが生まれたということだ。
ニコラスが5歳の頃に一家はロンドンに移り、7歳になってからパリに移住した。
そこからは父親が一人で海外へ行くようになり、その間は母と2人きりで生活をしていた。
父親は帰国すると、いつもお土産として旅先の写真をニコラスに見せていた。
ニコラスいわく「父親は人類学に興味を持っていた」とのことで、彼が撮影した写真は奇妙な物も多かったという。
例えばアフリカで撮影したブードゥー教・黒魔術に関する写真。
例えばタイで撮影した地獄寺、拷問博物館的な写真。
いずれも子供に見せる写真としては結構な生々しさがあるものだった。
両親は確かに優しかったしニコラスを愛していたが、キスやハグをすることは殆どなく、多くの時間をニコラスは一人で過ごしていたという。
そんな時は吸血鬼や狼男の本を読んでいたが、中でも好きだったのは「パズズ」という悪魔の像の写真だった。
のちにエクソシストの映画でも使われたパズズの像は、幼いニコラスに早くからオカルトへの興味を持たせたという。
成長した彼は悪魔主義者となるのだが、ニコラスは子供の頃から何となく、そういうダークな雰囲気に触れながら生活していたのである。

パズズ像(Wikipediaより)
1982年。
ニコラスが10歳になった時、彼の祖父が亡くなった。
生まれて初めて葬儀場へ行ったニコラスは、日常の世界とは全く違う葬儀場の雰囲気にすっかり呑まれ、魅了されてしまったという。
また当時からニコラスは、ホラー映画のファンでもあった。
のちのインタビューで好きな映画トップ3を聞かれたニコラスは、次のタイトルを挙げている。
1位 テキサス・チェーンソー
2位 エクソシスト
3位 ファンタズム
当時は子供達の間でホラーが流行っていなかったため、ニコラスには好きな作品について語れる友達がいなかった。
それどころか彼はクラスメイトとあまり関わらないようにし、一人で本を読むなどして時間を潰していたという。
とにかく彼は、死とオカルトというものに強い興味を持ちながら育っていった。
人を食べるという禁忌に魅了され始めたことに関しては、次のような逸話がある。
ニコラスが12歳の時、彼の叔父がとある雑誌を入手した。
その雑誌には、フランスで起きた大事件の写真が載っていたのである。
日本人男性・佐川一政が、フランス人女性を襲って命を奪いその肉を食べたという、通称「パリ人肉事件」。
叔父の持っていた雑誌には佐川の犯罪現場の凄惨な写真と、遺体安置所に並べられた 解体された女性の写真がそのまま載っていたのだ。
当然その雑誌は多大なクレームを受けて数日後には発禁処分となったのだが、ニコラスの叔父はその前に購入していたようである。
叔父はわざわざニコラスにそれを見せることはなかったが、ニコラスの方は興味津々だった。叔父がいない間、こっそり雑誌を持ち出しては写真を眺めていたというのだ。
大人になったニコラスは様々なシリアルキラーに手紙を書くようになるのだが、文通相手の中には、なんと佐川一政も含まれていたのである。
その後、一家は父親の仕事の都合でポルトガルへと移住。
4年間ポルトガルで暮らしたニコラスだが他の子供達と共通の話題もなく、ますます孤立してしまう。
居場所がなかったニコラスは、あまり人が来ない近所の墓地で時間を潰すようになった。
その習慣はフランスに戻ってからも続き、ここからニコラスは本格的に墓地で遊ぶようになったという。
心の闇はじわじわと、約5年かけてニコラスの中に浸透していった。
そうして初めて墓を訪れてからおよそ5年後、ニコラスはとうとう「墓の下に何があるのか」調べてみようと決意したのである。
ニコラスは幼い頃からオカルトに悪魔、ホラーや遺体などに興味を持っていたが、周りにはそんなものに興味を持つ子は全くいなかった。
というのも当時、それらは全くクールではなかったのだ。
今でこそ日本でも厨二病なんて言葉が定着しているように、オカルトやブラックメタルを好きになるティーンの子達も多そうだが、ニコラスの時代は違った。
そういった物に興味を持つ人間は決して個性的・カッコイイとは思われず、むしろ精神異常者と見なされていたのだ。
そんな風潮があったため、ニコラスが知らないだけで、口には出さないが同じ仲間はいたのかもしれない。
どちらにしろ独りぼっちだったニコラスは、思春期の真っ只中――とうとう墓をあばいて中の物に触れることを覚えていったのである。
◆歪んでいく瞳
「墓場こそが自分の居場所だ」と実感したニコラスは、霊廟のカギを開けて中に入ったり、棺を開けたりと、少しずつ行動をエスカレートさせていった。
もちろん棺は重いしフタは8本のネジで固定されているため、容易に開けられるものではない。
ニコラスはそれも心得ており、時間をかけ、道具を駆使して開けていたという。
その夜開けたのは、約8カ月前に埋葬された女性の棺だった。
匂いも酷く、ハエも多い。
ニコラスは女性の一部を持ち帰ろうとしたが、それに使う道具を持っていなかったためこの日は断念し、次に来た時に開けやすいよう少しフタをずらして乗せてその場を去った。
2カ月後――
再び棺の前に戻ってきたニコラスは、今度は金ノコを持ってきていた。
早速フタを開けると、惨いことに大量の小さなハエが彼女の体を覆いつくしていた。ハエは卵も産んでいて、遺体は卵とハエで、白と黒の塊になっていたという。
それを見たニコラスは思わず嘔吐したそうだ。
二度と見たくないとも感じたという。
腐乱死体は良くても虫はダメなのかという何とも言えないエピソードである。
そうしてニコラスが18か19歳の頃、もう一人の祖父が他界した。
その際、病院の遺体安置所まで出向いて祖父に会いに行ったのだが、この時ニコラスは「将来は葬儀業界で働こう」と決意したという。
遺体安置所――。ここが自分の居場所だと一瞬で理解したのだそうだ。
いくつかの会社に応募し、20歳の時には実際に病院の遺体安置所で働いていた。
最初は小児病院、次はカトリック系の病院……という具合に色々な現場で働いたという。
基本的に現場は一人だったため、安置所や解剖室などにこっそり恋人を呼び、棺のすぐ近くでイチャついたりもしたそうだ。
遺体安置所の職員として働く中で、解剖の手伝いをすることもあった。
実際に遺体に触れることでますますニコラスの瞳は黒く染まってゆき、ついには取り返しのつかない行為に手を出してしまったのである。
それは解剖が終わった遺体の縫合をするため、ニコラスが解剖室に一人残された時のことだった。
ニコラスは誰もいないのをいいことに、遺体から肉を切り取ったのだ。
それらは持ち帰ったものもあれば、その場で口に運んだものもあった。
持ち帰った分はキッチンで揚げ物にしたり焼いたりしてから食べたという。
やがてそのような行為は常習化し、ニコラスは人の味に魅了されていった。
生で食べるのが一番好きで、馬肉やタルタルステーキ、カルパッチョのような味がしたそうである。
またその当時、ニコラスは血液銀行にも勤めていた。
そのため血液を保存しているバッグをこっそり入手し持ち帰ることもあった。
具体的には血液バッグに貼られたシールを剥がし、開封済みに見せかけて保管していたのだ。
もちろんそれらはニコラスの家の冷蔵庫で冷やされ、のちにグラスに注がれることとなったのである。
ちなみにニコラスが初めて血を飲んだのは、少なくとも17歳の時。
自分の腕などを少し傷付けて、その部分を口に含んでみたという。
それ以降は、そういった変わったプレイに興味のある女性と付き合ったり、やり方を教えてもらったりしていたそうだ。
そうしているうちニコラスはどんどん血に惹かれていった。
食べたり飲んだりする行為は、22歳になるまで続いた。
捕まるかもしれないということは考えていなかった。
逮捕の不安以上に、やらなければならないという気持ちの方が大きかったからだ。
陸上選手が走るように、ピアニストが演奏するように、歌手が歌うように。
ニコラスにとってそれらの行為は、自分が生きていると実感できる最高の瞬間だったというのだ。
◆最後の一線
ニコラスは遺体に特別な感情を抱くと同時に、人を殺してみたいという思いも持っていた。
計画としてはスナイパーライフルを手に入れて、高い場所から学生を撃つことを思い描いていたそうだ。
実際に人に対して暴力をふるったこともある。
ニコラスはパリにある「ペール・ラシェーズ」という墓地がお気に入りだったのだが、そこは夜になると同性愛者の交流の場にもなっていた。
一人で墓をうろつくニコラスは、しばしば男性からナンパされることもあったのだが、彼の目的は墓と遺体である。
しかし相手はそんなことを知るはずもなく、しつこくニコラスを誘った。
そうしてニコラスはたまたま持ち歩いていたハンマーをその男性に振り下ろしたのだ。
このエピソードに対してニコラスは、「相手が同性愛者だったから殴ったわけではない」と断言している。相手が墓の管理人でも同じことをしただろうし、「ただ放っておいて欲しかった」のだと。
殴られた男性が命を落とすことはなかったが、ニコラスが他人へ暴力をふるったのは これが初めてのことだった。
またニコラスは、国内外のシリアルキラーに強い興味を持っていた。
1990年のフランスに、1年で3人を手にかけたレミー・ロイという男がいるのだが、その手口はネットを通じて同性愛者の男性と出会い、自宅に誘って手にかけるというものだった。
ネットといっても当時は今のようにインターネットが発展していた訳ではなく、ミニテルという、ネットに似たチャット通信などができるシステムを使っていた。
銃を手に入れたニコラスはある日この手口を真似て、とあるコミュニティで知り合った男性と親しくなったのである。
その男性の自宅アパートを訪ねたのは、もちろん彼を殺すためだった。
なぜ殺したかったのか、頭の中でニコラスの動機をざっと考えてみてほしい。
ニコラスはその時点で所持していた銃の弾丸が、人間の頭蓋骨を貫通するかどうかを知りたかったのだ。
つまりこれはニコラスにとって、1つの実験だったのである。
実際犯行時のニコラスは実に冷静で、本当に実験を観察している医者のような気持ちだったという。
撃たれた男性は床に倒れたが、まだ息があった。
そのためニコラスはもう一発、今度は彼の背中に向けて引き金を引いたのだ。
ニコラスいわく、彼はそれでも息をしていたため更に数発の弾丸を撃ち込んだ。
被害者の男性は34歳。レストランを経営し、臨時で楽団の演奏者もしていた人だった。
あまりにも身勝手な犯行だった。
のちにニコラス本人も、「この時の自分ははっきり言って異常状態だった」と言っている。
被害者の男性が発見されたのは3日後。
連絡がないことを心配した家族がアパートを訪ねて事件が発覚した。
その後、ニコラスが男性の家から盗んだ小切手を偽造しようと試みた時、スタッフから身分証明書の提示を求められた。
そこでニコラスは、同じく盗んでいた男性の運転免許証に自分の写真を貼ったものを提示。
しかしスタッフは署名の筆跡が違うことからニコラスを怪しみ、警察に通報。
すぐさまニコラスは指名手配犯となったのだった。
そうして男性を手にかけてから約1カ月後、1994年11月15日。
ナイトクラブの前で女性と口論になったニコラスは、駆け付けた警察に逮捕されたのである。
ニコラスは拘留中に「男性を銃で撃った」と自白し、墓荒らしや血液バッグを盗んだこと、遺体の肉を食べたことなども次々と語った。
検察はニコラスの犯罪を、1994年のパリで起きていた連続殺人事件の1つとして考えていた。
ニコラスのことを先ほど出てきたレミー・ロイの模倣者であると考え、シリアルキラーの心理的プロファイルに当てはまると証言もしていた。
「連続殺人事件の被害者が通っていたバーでニコラスを見た」という目撃者も現れたが、結局はそれらの事件とニコラスを結びつける証拠は出てこなかったのだった。
精神鑑定を受けたニコラス・クローは何十回もの検査の結果、境界性パーソナリティー障害であると診断された。
それは、気持ちや行動、対人関係が不安定になりやすく、日常生活や仕事で著しい苦痛や支障を引き起こしてしまう障害とのことである。
とはいえ無罪といえるほどの精神障害ではなかったため、ニコラスは裁判で裁かれることとなった。
ニコラスは計画的殺人、武装強盗、銀行小切手の不正使用、運転免許証の写真の偽造、およびビデオカメラの小売店からの詐欺未遂の罪で有罪となり、懲役12年が言い渡された。
墓荒らしや血液バッグの窃盗は、有罪とはならなかったのだ。

ロドニー「何だか凄い人だね。動機も酷いけど、全然反省してない感じもするし」
ルドルフ「前にこの男のインタビューを読んだが……『人を手にかけたつもりはない』と言ったり、『同性愛者は食べたくない』と言ったり、『喫煙者や太った人は血がまずそうで気分が悪い』と言ったり、何となく意地悪な印象があるんだな」
ロドニー「確かにちょっとキツい性格って感じだよ。演じてるのかもしれないけど。刑務所ではどんな風に過ごしてたの?」
ルドルフ「1人気の合う仲間ができたそうだが、その男もかなりの危険人物だったそうだ。他の囚人に対して、『金を渡さねえと人食いニコがお前を食っちまうぞ』なんて脅していたそうなんだな」
ロドニー「うええ」
ルドルフ「『パリの吸血鬼』なんて渾名も付けられていたし、ニコラスも自分の恐ろしい評判を利用していたとのことなので、囚人にいじめられることもなかったんじゃないかな」
ロドニー「懲役12年ってことは、もう出てきてるよね?」
ルドルフ「12年でもパリでは軽い刑だそうだが、実際は8年で出所してるんだな」
ロドニー「ということは、2002年に出てきたのか!」
◆ニコ・クローの人生
服役中のニコラスは、世界各国のキラーと手紙のやり取りをしていたという。
リチャード・ラミレス。エド・ケンパー。ダグ・クラーク。
デビッド・バーコヴィッツ。ハッピーフェイスキラーことキース・ハンター・ジェスパーソン。
興味のない人からして見ればこれらのキラーが誰なのかサッパリ分からないものである。しかし海外の事件に興味のある人ならば、1度は耳にしたことのある名前ばかりだろう。
そして日本の食人鬼、佐川一政。
ニコラスは晩年の佐川が手紙を書けなくなるまで、少なくとも10年間は文通をしていたという。
同時にニコラスのファンだという若者や女の子からも手紙が殺到しており、ニコラスはそれらほぼ全てに返事を書いていた。
ちなみにニコラスが服役していた刑務所の郵便室の職員は、ニコラスの文通相手が主にシリアルキラーであることを理解していなかったそうだ。「よく分からないけど外国からたくさん手紙がきているな」という程度だったのだとか。
そうして8年服役したニコラスは社会へ戻されたのだが、事件のことがバレて職を失ったり、彼女と別れざるを得なかったりと色々な目に遭ったそうだ。
遺体安置所ではもう働いてはいけないと言われていたが、職が得られず結局遺体安置所に戻ったこともあるという。
しかしそこでも犯罪歴がバレて解雇となったため、やがてニコラスは雇われるということを諦めた。
ニコラスは自ら出版社を立ち上げ、自身の書籍を執筆し、タトゥーのフラッシュを描いたり、絵画、主にシリアルキラーの自画像を描いてそれを売ったり個展を開いたりと、自分のブランドを売り始めたのだ。
元犯罪者――そしてマスコミによって「パリの吸血鬼」というニックネームを付けられた男の作品は、それこそオカルト信者やブラックメタルの愛好家、ゴスカルチャーにハマる若者などから多大なる支持を受けたのである。
ニコラス・クローは現在51歳。
今もアーティスト「ニコ・クロー」として活動している。
オカルトに魅せられ、罪のない人の命を奪ったニコラス・クロー。
色々思うところはあるが、墓荒らしが罪にならなかったのはちょっと意外である。
自分の家族の墓が暴かれて勝手に遺骨を食われたとなったら、普通は許せないだろう。
それにどの記事を読んでも、被害者への謝罪の気持ちというものが一切書かれていない。
もしも彼がティーンの頃からオカルトへの想いをアートにぶつけていたならば、少しは違う未来を歩めていたのかもしれないと無意味な想像をしてしまう。
ルドルフ
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