過酷な旅路
狂気の果てに帰還した男

あなたの大切な人を思い浮かべてください。
愛する人と二人きり、希望に満ちた旅に出て遭難してしまったら……
過酷な大自然に放り出され、食料が底をつき、気力も体力も奪われて。
この事件が起きたのは1873年のアメリカ。
一攫千金の夢を目指して旅に出た男たちと、ガイドさんが1人。
大自然が相手でもガイドがいれば心強い。
希望を胸に挑んだ彼らだが、ガイドに付いて行った者は――
誰一人として帰って来なかった。
1873年11月
アメリカ、ユタ州ソルトレイク
ここに19人の男たちが集まり、出発の時を待っていた。
男たちはお互いほとんど面識がなく知らない者同士だったが、皆1つの同じ目標を持っていた。
「コロラドで大規模な金脈が見つかったらしい」
一攫千金を狙う採掘者が黄金を目指し旅に出る、いわゆるゴールドラッシュ。
男たちは金を探し出すため団結しチームを組んだのだ。何とも夢のある話である。
男たちはソルトレイク近くの鉱山を出発し、当時はまだ州ではなく準州だったコロラドのブリッケンリッジを目指すこととなった。
出発してからしばらく。約65キロほど進んだところで、採掘者たちのグループは1人の男と出会った。
どこに行くのかと訊ねてきた男に、グループは「コロラドの黄金を目指している」と答える。
すると男は「自分も参加させてほしい」と訴えてきた。
聞けば男は探鉱者であり、ガイドの仕事もしているという。
目的地であるコロラドのサンファン山脈についても詳しいようで、実をいうとコロラドの地理を全く知らなかったグループは、その男をパーティーに加えることにした。
男の名前は、アルフレッド・パッカー。
ガイドを名乗り出たこの男を信じたがために、グループのうちの何人かは悲惨な最期を遂げてしまったといわれている。

◆パッカーという男
アルフレッド・パッカー
1842年1月21日
アメリカ、ペンシルバニア州 アレゲニー群の生まれ。
3人兄弟の1人として生まれたパッカーだが、本人いわく「両親とはあまり良い関係を築いていなかった」という。
パッカーは10代後半になるとミネソタへ行き、靴職人として働き始めた。
20歳になるとミネソタ州で軍に入隊、しかし8カ月後には持病のてんかんのため軍を離れた。
その後アイオワ州で再び軍に入ったが、同じ理由ですぐに除隊となったという。
軍から離れた後、22歳のパッカーは西へ西へと移動し、やがて辿り着いたロッキー山脈で約9年間、様々な仕事に就いたのだった。
例えば狩猟をしたり牧場で働いたり、現場で肉体労働をしたり、ガイドの仕事も数カ月間したこともある。
しかしどの仕事も長くは続かなかった。
てんかんの発作が原因の1つでもあるが、基本的にパッカーは嘘をついたり物を盗んだりと、人から嫌われるような性格だったのだ。
ガイドの仕事もとても向いているとは言えず、道に迷いがちだったと証言する人もいた。
そんな訳でパッカーは鉱山関連の仕事を数多くしていたものの、決して成功することはなかったのだ。
そして1873年の11月。
30歳になったパッカーはこの時、「ブリッケンリッジの黄金地帯へ向かう」という男たちのグループに出会った。
パッカーはお金や物資を持っていなかったので、男たちは彼をパーティーに加えるかどうか悩んだのだが――ガイドの経験もあり現場の地理も良く知っているというので仲間に入れたのだった。
グループの初期メンバーはのちに、パッカーのガイド経験とやらは嘘だった可能性があると語っている。
旅の中でもパッカーは食料の配給に物凄く注文を付け、怠けもので頑固で、メンバーの1人とよく口論をしていたそうだ。
◆過酷な旅
黄金を求めて旅に出た彼らは、アルフレッド・パッカーのガイドを頼りに進み続けた。
しかし、季節は冬――
1873~74年の冬は異常に厳しかった。
寒さは少しずつ体力を奪い、積もった雪は歩みを遅らせた。
しかも大雪により通るべき正しい道がほとんど分からなくなっていたため、コンパスだけを頼りに歩かざるを得ない状況となっていた。
ガイドとして仲間に加えたアルフレッド・パッカーも、全く役に立たない。
そして雪の中を無理矢理に進んでいた彼らは、当然ながら道に迷ってしまう。
進んでも戻ってもどうにもならず、食糧はあっという間に底をついた。
狩猟をしようにも、真冬の森で獲物は全く見つからない。食べるものが無くなった彼らは、仕方なく馬の餌で食いつないでいた。
そしてとうとう馬の餌も無くなり、最終的に「馬を食べるしかない」となったそうだ。この時点で出発から2カ月以上が経っていた。
ところがここで、1つの奇跡が起こる。
1874年1月21日。
迷いに迷って倒れる寸前だった彼らは、現在のコロラド州モントローズ近くにあるユート・インディアンのキャンプに辿り着いた。
だがインディアンが、自分たち白人を受け入れてくれるか分からない。
なにしろ全員やつれてぼろぼろ、幽霊のような風貌になった20人近くの人間がぞろぞろと歩いているのだ。
インディアンの人達の中には、明らかに彼らを怖がっている者もいた。
しかし酋長の男性は、なんと彼らを客人として受け入れてくれたのだ。
温かな食糧と寝床まで用意してくれて、彼らはインディアンの酋長に心から感謝したという。
荷馬車の馬たちも食べられずに済んだ。もともとこのユート・インディアンの酋長は、白人に対して友好的だったのだ。
そしてこの辺りの山に詳しい酋長は、「今の時期に山を越えるのは本当に危険である」と彼らに教えた。
「黄金など見つかるはずがない、諦めて引き返すべきだ。
それでも危険な冒険をするというなら、冬が過ぎるまでこのキャンプにとどまった方がいい。
もちろん、その間の食べ物や防寒具も分け与えることを約束しよう」
酋長の申し出は、純粋な親切だった。
だがグループの中には、「ここでもたついていたら黄金を他の奴らに取られちまう」と考える者もいたという。
さっきまで 飢えて倒れそうだったというのに。
それでもグループは体力を回復させるため、しばらくの間はキャンプの世話になった。
そうして2月の初旬に今後のことを話し合ったのだが、実際のところまだまだ雪が止む気配はない。
そのためメンバーの約半数は、荷馬車や馬たちと一緒に春までインディアンのキャンプにとどまることを選択。
残りの約10人は、なんと旅を続けることを選択したのだった。
酋長は彼らを説得したが、黄金を求める男たちの意思は強い。
仕方なく酋長は、山を迂回して進む安全なルートを教えてくれた。
それだけでなく当面の食料まで持たせてくれたのである。
酋長は本気で彼らの心配をしてくれたのだが、自称ガイドのアルフレッド・パッカーは「迂回するより山を越えた方が早い」と主張。
この主張に対し、旅続行メンバーの中の5人が噛みついた。
「自分たちは酋長の言葉に従う」と。
パッカーも負けじと「自分の方が地理を理解している・山越えの方が早い」と言い返した。
結局意見は割れ、5人は迂回ルートを進み、残り5人はパッカーに付いて行く――という構図になったのだった。
◆再びの遭難
パッカーと5人のメンバーはユート・インディアンのキャンプを一番に出発し、ガニソン川に沿って進み始めた。
途中の馬が進める所まで、かつての仲間がパッカー達を先導したという。
しかし相変わらずの悪天候である。
先導してくれた元メンバーは、馬が進めなくなった地点で荷物や食糧を地面に下ろし、インディアンのキャンプへと戻って行った。
容赦のない大雪と極寒の氷点下。パッカー隊は意気揚々と進んだものの、結局はすぐに食糧が尽きてしまい途方に暮れることとなった。
正直言って無謀すぎる行動だった。
それでもキャンプに残ったグループが彼らを止めなかったのは、誰もがパッカーを負担に感じており、厄介払いしたかったからだそうだ。
それほどガイドの腕もなく、態度も悪かったということである。
パッカー達は寒さと空腹に今にも倒れそうになっていた。
ところがここでまた奇跡が起きる。
たまたま近くに住んでいる牛飼いの人達が彼らを発見し、食糧と避難場所を提供してくれたのだ。
飢餓に瀕していたパッカー達は、またしても人の優しさに助けられたのである。

◆ガイドの帰還
パッカー隊がインディアンのキャンプから出て行った、約2カ月後のこと。
1874年4月16日(3月という説もある)
コロラドのロス・ピノス・インディアンの管轄事務所に、1人の男が現れた。
服はぼろぼろで酷く汚れている。
彼はこの冬、ロッキー山脈を越えてここまでやってきたのだと言う。
職員に「食べ物と寝る場所がほしい」と懇願したその男は、アルフレッド・パッカーだった。
他の5人はどうしたのか?
パッカーによると、一緒に山を歩いていた5人は悪天候と空腹で余裕がなくなり、歩けなくなったパッカーを見捨てて行ってしまったのだという。
その際にメンバーからライフルを手渡されたので、最小限の弾薬で獲物を仕留め、他は薔薇のつぼみを食べてここまで生き永らえたのだそうだ。
職員はその話を聞いて驚いたが、何ともいえない怪しさも感じていた。
そんなにも過酷な日々を経てやってきたという割りには、パッカーの顔つきや体が健康的に見えたからだ。
パッカーはしばらくそこに滞在してから持っていたライフルを売却してお金を作り、故郷のペンシルバニアに帰ると決めた。
帰りの旅に必要な物資を購入するため、近くの町へ出向いたパッカー。
彼は町の酒場で遭難話を自慢気に語り、酒場のオーナーに「大金を貸してやる」と申し出たという。
なぜかパッカーは大金を持っていたのだ。
それも、複数の異なる財布に金を入れていたという。
遭難の自慢話というのも、話すごとに少しずつ内容がズレていき、矛盾が多くなっていった。
一貫性のない話と大金の所持で、徐々に周囲の人達は「パッカーが5名の仲間を手にかけたんじゃないか」と噂するようになった。
やがて酋長のキャンプでお世話になったメンバー達がコロラドに到着し、町の酒場でパッカーと再会。
メンバーの1人であるプレストン・ナッターは、「パッカーが5人に見捨てられた」という話にすぐに疑問を持ったという。
パッカーはナイフを所持していたのだが、そのナイフがフランク・ミラーというメンバーの所有物だったということを、プレストンは覚えていたのだ。
パッカーの話は矛盾だらけだったため、元メンバー達も「いなくなった5人はパッカーが手にかけたのではないか」と疑うようになった。
その頃、2人のインディアンが地元の保安官を訪ね、「山の中で白人の肉を拾った」と届け出た。
肉には刃物の跡があり、すぐさまあの怪しい男――アルフレッド・パッカーに疑いの目が向けられた。
一緒にいた5人を手にかけその肉を食べたのだろう、と。
保安官に詰められたパッカーは、そこで初めてあの山でのことを語り始めた。
食糧不足のためどうしようもなくなり、老いた者・弱い者から犠牲になっていったこと。
生き残ったのは自分と もう一人のベルという男だったこと。
ベルとは「絶対に互いを襲わない」と約束し、神にも誓い合った。食べるくらいなら飢え死にしようと言ったのだ。
しかし結局はベルに襲われたため反撃し、仕方なく彼を食べた。
胸の肉が好物で切り取って持ち歩いていたが、インディアンの管轄事務所が見えたので、携帯していた肉を捨てた。
生きるために、仕方のないことだった。
パッカーの証言が本当ならば、彼の行ないは正当防衛だったということだ。
6月になって、ベルを含むメンバーの遺体が発見された。
遺体はそれぞれ後頭部に銃撃を受けた跡があり、パッカーの証言とは違う亡くなり方をしていた。
遺体発見現場もパッカーの証言とは違う場所だった。
近くには丸太小屋があり、そこにメンバーの所持品などが保管されていた。
パッカーはこの丸太小屋を拠点とし、腹が減ったら倒れたメンバーの元へ行って肉を調達していたのだ。
こうしてアルフレッド・パッカーは逮捕され、5件の殺人罪で起訴されることとなったのである。
●アルフレッド・パッカーの事件が基となった作品もある
★カンニバル・ザ・ミュージカル
……ブラックコメディ映画。のちに「サウスパーク」を手がけるトレイ・パーカー氏の作品。
★ラビナス
……ホラー要素強め。パッカーの事件とドナー隊遭難の事件を足した感じの作品。
◆共食いの代償
逮捕されたアルフレッド・パッカーだが、刑務所といっても建物は丸太小屋だったため、なんとあっさりと脱獄を許してしまった。
パッカーが見つかったのは、実に9年後のことだった。
1883年3月12日。
ジョン・シュヴァルツという偽名を使って暮らしていたパッカーが、ワイオミング州で見つかった。
彼を見つけたのは、かつて一緒に黄金を目指し旅に出たメンバーのジャン・カバゾンだった。
ジャンはすぐさま保安官に報告し、こうしてアルフレッド・パッカーは再逮捕されたのである。
裁判にかけられたパッカーは、「自分が手にかけたのは最後に生き残ったウィルソン・ベルだけだ」と主張したが、もう誰もパッカーの言葉を信じなかった。
担当判事は激怒し、パッカーにこんなことを言ったそうだ。
「我が群には7人しか民主党員がいないのに、お前はそのうち5人を食ったのだ。
恥を知れ、共和党員の人食いめ」
アルフレッド・パッカーには死刑判決がくだされたが、再審が行なわれた際に懲役40年に減刑され、結果的には恩赦によって1901年1月1日に仮釈放となった。
生涯無罪を主張し続けていたパッカーは、1907年4月24日に65歳で亡くなった。
民主党員を食ったアルフレッド・パッカーは、どういう訳か現地で讃えられているという。
コロラド州立大学の学生食堂には、アルフレッド・パッカー・グリルという名前が付けられている。
あくまでも歴史の一部としてパッカーの名前を取り扱っているとのことだが、生徒達は定番のギャグとして、こんなキャッチフレーズを口にしていたという。
「ランチに友達がいる」
(ランチに友達の肉が使われてる、という意味だと思われる)
★
遭難からの空腹で仲間を食べたアルフレッド・パッカー。
食べるために同じ人間の命を奪うのは人の道に反する――というのは当然のことだが、どうしようもない飢餓感に陥ったことのない僕としては、自分がどんな選択をするのかその時になってみないと分からない。
こんな悲惨な話だからこそ 彼らを助けたインディアンの酋長がとても素敵な人に思える。
パッカーになるか、酋長になるか。
日頃の思いやりや助け合いの精神が大事なのだと改めて思う事件だった。
ルドルフ

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