偽霊媒師の闇
嘘と保身と生贄の儀式

もしも好きな相手から、とんでもない仕打ちを受けたらどうしますか?
金銭や物品の要求、理不尽な命令、恐怖による支配、洗脳――
世界には様々な洗脳事件が起きているが、本事件もまた非情に憤りを感じるものとなっている。
この事件が起きたのは1981年のシンガポール。
ある一人の男が、二人の女を従えて好き放題に暮らしていた。
女性もいて、お金にも余裕があるカリスマ生活。
しかしそんな暮らしにも暗雲がたちこめる。
窮地に立たされた男は二人の女に命令した。
「この状況を打破するため、子供を生贄に捧げるぞ」
1981年1月25日
シンガポール、トア・パヨ地区
この日、行方不明だった9歳の少女・アグネスが発見された。
バッグに押し込められ、残念ながら変わり果てた姿となっていたアグネス。
一体なぜ彼女はこんな目に遭ってしまったのか?
この事件の主犯格である男の名は、エイドリアン・リム、当時39歳。
加担していたのは2人の女、キャサリン・タン・ムイ・チューとホー・カー・ホン。
3人が行なっていたのは身勝手で恐ろしい、邪念にまみれた犯行だった。

エイドリアン・リム
◆3人の男女
エイドリアン・リム
1942年1月6日
シンガポール、当時の海峡植民地の生まれ
3人兄弟の長男として生まれたリムは、妹の証言によるとかなり短気な性格だったようだ。
アングロ・チャイニーズ・スクールに通ったが、中等教育1年で中退。
その後は様々な職に就き、20歳の時にケーブルラジオ会社に就職した。
地道に働いて成績もよく、入社から5年後には幼馴染の女性と結婚し2人の子宝にも恵まれた。
しかしリムはその人生の転機で、カトリックに改宗しながらも次第に霊的な領域へと深く引き込まれていったのである。
彼の心の中には暗い欲望が芽生え始めていた。
やがてトア・パヨ地区のアパートを購入し、1973年にはパートで霊媒師としての活動を始める。
その活動は、貧困や虐待から逃れたいと願う若い女性たちを巧みに取り込む形で拡大していった。
それ専用の部屋を借り、リムを頼ってやってきた女性たちの体の相手をしていた。
リムは「アンクル・ウィリー」という人物から霊術を学び、あらゆる宗教の神々に祈りを捧げながら、ヒンドゥー教の女神カーリーを強く信仰していたという。
また、誰でもできるようなマジックを自身の商売に取り込み、より一層霊媒師としての信用を高めていった。
ちなみにリムにすがる客の中にはおじいさんやおばあさんもいたが、そういう年配の人々に大しては金だけを奪い、若い女性客にしていたような体の関係は持っていなかった。
つまり、そういう男だったのである。

キャサリン・タン・ムイ・チュー
そしてのちにリムの妻となるキャサリン・タン・ムイ・チュー。事件発覚当時28歳。
タンは4人兄弟の長女として生まれたが、親は下の兄弟たちに気をかけることが多く、彼女は孤独を感じながら育っていた。
唯一優しかった祖母も17歳の時に亡くなってしまい、孤独と貧困の中でバーで働き始めることとなる。
20歳の時タンは同僚からリムを紹介され、うつ病治療のために彼を頼りにするようになった。
彼女はそのままリムの生活に巻き込まれ、やがてリムのアパートに同居することになる。
タンが住み始めたことを当然ながらリムの妻は良く思っておらず、数日後には子供を連れて出て行ってしまった。
そして一人目の妻と離婚後、エイドリアン・リムは、タンを妻として迎え入れた。
しかしながらリムは彼女に暴力と脅迫を繰り返し、稼ぎは良かったのに一切のお金を彼女に渡すことはなかった。
生活費を渡さないどころかリムはタンに様々な夜の仕事をするよう命令し、彼女の給料を搾取していたのである。

ホー・カー・ホン
そして、1979年
ホー・カー・ホンという新たな女性がリムの生活に現れる。
事件発覚当時26歳だったホーは幼少期に父親を失い、8歳で叔母の元で生活を始める。
成長する中で様々な職業を経験し、ついには幸せな結婚をするも、リムの手により人生が一変する。
ホーがエイドリアン・リムと出会ったのは、やはり霊感商法がきっかけだった。
手品の演出を見せられたホーは、リムには霊的な強い力があると信じてしまったのだ。
そしてそんな彼女に目をつけたリムは、言葉巧みにホーの心を奪っていった。
「お前の家族は裏で犯罪に手を染めている」「お前の旦那はお前に体を売らせようとしている」などの嘘を吹き込み、家族からホーを切り離そうとしたのである。
そしてホーの夫は、リムの電気ショック療法の犠牲となり命を落としてしまった。
リムは事故として処理させるも、ホーに精神的な傷を残したのである。
未亡人となったホーは、エイドリアン・リムの「聖なる妻」として迎えられた。早い話が愛人である。
こうして3人の人生は絡み合い、エイドリアン・リムを中心とした支配生活が続いた。
リムの巧妙な話術と恐怖によってタンとホーは彼の意のままに操られ、精神と体を支配されていくのだった。
この3人の運命はやがて恐ろしい事件を引き起こし、シンガポール全土を震撼させることになるが、今はまだ彼らの内に潜む影と欲望の軌跡が、闇の中で密かに育まれているに過ぎなかった。
◆2人の犠牲者
1981年1月24日の午後。
この日、9歳の少女・アグネスが行方不明となった。
最後に彼女を見たのは彼女の姉と友人である。
トア・パヨの教会から自宅へ帰る途中で、アグネスの身に何かが起きたのは明白だった。
行方不明から数時間が経ち日付も変わったものの、依然としてアグネスが家に帰ることはなかった。
そうして必死の捜索を行なったところ、残念ながらアグネスは変わり果てた姿での発見となった。
彼女はバッグの中に入れられており、血を抜かれたような注射の痕、そして性的に弄ばれた痕跡もあったという。死因は窒息だった。
この約2週間後 2月6日。
10歳の少年ガザリが行方不明になり、翌日の7日にアグネスが発見された場所とほぼ同じところで遺体となって発見された。
原因は溺死と見られ、アグネス同様に血を抜き取られたような注射痕と、背中に火傷の跡があった。
ガザリが姿を消す前には目撃者もいた。
小学校の校庭で遊んでいたところ見知らぬ女性が近づいてきてガザリに声をかけ、連れていったというのを、ガザリのいとこが見ていたのだ。
この女性というのがエイドリアン・リムの愛人、ホー・カー・ホンだったのだ。
変わり果てたガザリが発見されたとき、道には血痕が落ちていた。
その血痕は点々と続き、警察がそれを辿ったところ、なんとエイドリアン・リムの部屋に辿り着いたのだった。
リムの室内には、キリスト教やヒンズー教や中国の偶像など様々な宗教関係の品々があった。
調べるとそれらのいくつかと、キッチンの床にもガザリの血痕を発見。
動かぬ証拠となり、エイドリアン・リム、キャサリン・タン・ムイ・チュー、ホー・カー・ホンは逮捕されたのである。
◆恐ろしい動機
ではなぜ、エイドリアン・リムはアグネスとガザリを手にかけたのか?
理由は非情に身勝手で また心底恐ろしいものであった。
リムが2人に目をつけるよりも少し前、1980年の10月頃――
相変わらず自分を霊媒師と偽って数々の女性を好き勝手にしていたリムだが、ある時 化粧品訪問販売員のルーシー・ラウ・コック・ホアンという女性から訴えられることとなってしまった。
理由は、リムがルーシーに鎮静剤を飲ませ、朦朧としているところを襲ったからである。
リムはルーシーに「悪霊が憑いているから私が性なる儀式で除霊する」と言ったのだが、ルーシーはそれを拒否。
それを不満に感じたリムが強引な手段に出たのだ。しかもそれは一度に終わらず、何日も行なわれたという。
ルーシーは泣き寝入りすることなく、警察に被害届を提出。
それによりリムは強姦、タンは幇助の罪で逮捕された。
保釈後も警察の捜査は続き、リムとタンは2週間ごとに警察署へ出向いて保釈の延長を申請しなければならなかった。
リムはその手続きを面倒に感じており、また自分は女性に愛されるカリスマだと思っていたため、強姦の疑いをかけられることが屈辱で耐えがたかった。
そこで考えたのが、警察の目を逸らさせるという作戦だった。
子供が行方不明になれば、警察はそちらに力を入れると考えたのだ。なんと身勝手で、そしてなんと浅はかな考えだろう。
しかもエイドリアン・リムは 子供たちをヒンドゥー教の女神・カーリーへの生贄にし、自分の罪や問題をナシにしてもらおうと目論んだ。
タンとホーに「カーリーが子供を望んでいる」と説き、2人に生贄となる子供を探させたのだった。
アグネスが犠牲となる前、実は3人の少女が候補にあがっていた。
1人目は10歳のインド人少女。
彼女はリムが崇拝する神々の1つがヒンドゥー教であるという理由で、リムに拒絶された。
2人目は中国人の少女。
彼女は痩せすぎという理由でリムに拒絶された。
3人目の少女も何かと理由をつけてリムが拒絶し、やがてアグネスがターゲットとなってしまった。
2人目の犠牲者であるガザリの時も、リムは「カーリーが次は少年を欲している」と 2人に告げたのだった。
その結果ホーがなぜガザリを選んだのかというと、亡き夫に似ていたからだそうである。
◆3人の裁判結果
逮捕から2日後。
リム、タン、ホーの3人は、2人の子供を手にかけた容疑で下級裁判所に起訴された。
3人は引き続き警察の取り調べを受け、刑務所の医師による健康診断も実施された。
9月16日から17日にかけて、拘留手続きを進めるために彼らの事件が裁判所に提出される。
副検察官は被告の有罪を立証するために58名の証人を召喚し、184点に及ぶ証拠を判事に提示。
エイドリアン・リムは罪を認め「全責任は自分にある」と主張したが、キャサリン・タン・ムイ・チューとホー・カー・ホンは無罪を主張。
判事はこの事件が高等裁判所で審理されるのに充分な証拠が揃っていると判断し、捜査が続く間、3人は拘留されることとなった。
紆余曲折あったのち、被告3人にくだされたのは死刑判決だった。
エイドリアン・リムは刑罰を受け入れて上訴権も放棄したが、タンとホーの2人はこれを不服として申し立てた。
しかし申し立ては却下され、のちに当時のシンガポール大統領にまで上訴したが同じように却下され、3人の死刑がきまったのだった。
1988年11月25日。
エイドリアン・リム、キャサリン・タン・ムイ・チュー、ホー・カー・ホン。
3人は最後の食事を与えられ、絞首縄につながれた。
リムは絞首台に向かうまでの途中、ずっと笑顔を浮かべていたという。
★
信じられないほど身勝手で、恐ろしい行為に手を染めた3人。
男の欲望や宗教・洗脳に狂気が結びつき、周囲の人々を巻き込みとんでもない事件になってしまった。
ホーの旦那さんもそうだが、2人の子供のことを思うとやりきれなくなる。
「男が女を洗脳する事件」は日本でも有名なものが多々あるが、なぜこんなことができるのか僕には一生理解できない。
ルドルフ

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