辺獄インフェルノ

世界の怖い事件をまとめています

🌍 世界の片隅で起きた、真実の記録。
遠い国の出来事のようでいて、今を生きる僕たちにも通じる――
このブログでは、実際に起きた事件や人間のドラマを
静かに、丁寧に語り継いでいきます。

フリッツ・ハールマン

ハノーバーの悲劇

肉屋と少年の狂気の犯行

 

 

 貧困の街に人肉を提供した男、カール・デンケ。

 デュッセルドルフの吸血鬼、ペーター・キュルテン。

 屋根裏の殺人者、フリッツ・ホンカ。

 ―――。

 ドイツに存在した数々のシリアルキラー、中でも悪い意味で有名な男。

 ハノーバーの狼男、フリッツ・ハールマン

 この事件が発覚したのは1924年のドイツ。

 貧困と食糧難に苦しむドイツのある街で、青年たちが次々と行方不明になった。

 闇市で売り捌かれる行方不明者の衣服。

 目撃されていた25歳差の同性カップル。

 そして、疑惑の豚肉缶詰

 

 

 1924年6月13日

 ドイツ、ハノーバー。

 この日、街は大混乱に陥った。

 ヘレンハウゼン城近くの川で、堆積物に混ざって人間の頭蓋骨が2つ発見されたからだ。

 それだけで混乱が起きたわけではない。

 実は5月17日と29日にも、川岸で遊んでいた子供たちが人間の頭蓋骨を見つけており、合計4人分の頭蓋骨が発見されたのである。

 検視の結果、それらは18~20歳の若者のものであることがわかった。

 ただし一番最後に見つかった頭蓋骨は、12歳くらいの少年のものであると判明。

 いずれも鋭利な器具を使って胴体から切り離されており、肉が完全に取り除かれていた。

 ハノーバーの住民を恐怖に陥れたこの事件。

 捜査は長引くかと思われたが、犯人はこの9日後に逮捕された。

 逮捕された男の名前はフリッツ・ハールマン、45歳。

 この男の所業は、のちのドイツに永劫名を残すこととなる。

 

 

◆暗闇の過去

 フリードリヒ・ハインリヒ・カール・ハールマン

 1879年10月25日

 ドイツ、ハノーバーの生まれ

 6人兄弟の末っ子として生まれたハールマンは、彼が生まれた当時 41 歳だった母親から大変甘やかされて育っていた。

 母親は幼いハールマンにスポーツや男らしい遊びではなく、姉妹の人形で遊ぶように勧めていた。

 一方で機関車の火夫をしていた父親は気難しい性格で、酒場で暴れたり妻以外の女性と遊ぶような男だったそうである。

 ハールマンは母親を愛す一方で幼い頃から父親を嫌っており、その嫌悪感は生涯にわたって続いていた。

 ハールマンの幼少期には、2つの特徴があった。

 1つ目は、学校生活を通じて現れた「女性的な傾向」。これは恐らく女装に興味を持ち始めたことだと言われている。

 2つ目は、「恐怖や不安を引き起こすことに喜びを感じる性質」だ。

 ハールマンは姉妹を縛り上げたり、真夜中に窓を叩いて幽霊や狼男のフリをし、兄弟をわざと怖がらせていたのだ。

 一見すると子供時代の可愛いイタズラだが、ハールマンの「誰かが怯えて恐怖に叫ぶ姿を見たい」という思いが、のちの犯行にも影響したと言われている。

 

 16歳の時、ハールマンはノイ・ブライザッハの陸軍士官学校に入学。当初は軍隊生活に順応し、訓練兵として優秀な成績を収めていた。

 しかしやがて断続的な意識喪失とてんかんの発作に悩まされるようになる。これは、練習中に脳震盪を起こしたか、日射病になったためだった。

 その結果、入学してわずか1年で除隊となってしまうのだった。

 

 除隊後ハールマンはハノーバーに戻り、葉巻工場に就職。

 しかしここで、ひた隠しにしていたとある欲望が出てきてしまう。

 ハールマンの欲望――それは、子供たちが好きということ。

 ハールマンは1898年に子供に対する猥褻行為で逮捕され、精神鑑定の結果、精神病院に送られることとなった。

 だがその6ヵ月後、警備の薄い病院から脱走。

 そのままスイスに逃亡し、再びドイツに戻るまで2年間をそこで過ごした。

 ハールマンは精神病院でよほどのトラウマを負ったか、のちに「俺に何でも好きなことをしていいから、精神病院だけは勘弁してくれ」と怯えながら訴えたこともあるという。

 

 20歳になりスイスからハノーバーに戻った彼は、1900年頃にエルナという女性と結婚。

 両親もこの結婚には大喜びだった。

 かつて児童に対してあらぬことをし逮捕までされた息子が、立派に女性と結婚したのだ。「これでフリッツも落ち着くだろう」とホッと胸を撫で下ろした両親だが、その喜びも長くは続かなかった。

 ハールマンは妊娠中のエルナを捨てて、再び偽名を使って軍に入隊したのである。

 しかしそれもしばらくすると、またしても健康上の理由で除隊。

 このたびは軍人年金を全額支給され、家族のもとに戻り父親に借金し精肉店を始めた。

 

 だがやがて父親との口論が激しい喧嘩に発展。ハールマンは逮捕され暴行罪で起訴されてしまう。

 しかしこの時の医師は、ハールマンが精神的に不安定であると診断しなかった。

 父親は息子であるハールマンを精神病院送りにしたかったのだが、それは叶うことなくハールマンは釈放された。この時、24歳。

 

 そうしてフリッツ・ハールマンは、その後の約20年間の3分の1を拘留または刑務所で過ごすこととなった。多数の窃盗や詐欺に手を染めていたためだ。

 密輸組織に加わり、密輸業者、泥棒などで金を稼ぎ、一方で警察のスパイ・密告屋なども請け負っていたハールマン。

 一度は精神病院に入れられたものの、こういった犯罪において ハールマンは驚くほどの才能があったようだ。

 

 しかし1914年には窃盗と詐欺で有罪判決を受け、第一次世界大戦が始まった直後に投獄された。

 そうして約4年後の1918年に釈放されたのだが、ハールマンの目に映るドイツは、逮捕前とは別世界になっていた。

 第一次世界大戦で国が被った損失の結果、ドイツ国民はかつてないほどの貧困に陥り、国は破産状態だったのだ。

 せっかく社会に戻っても、国がこれでは生き方を変えられない。

 そう悟ったハールマンはベルリンに短期間滞在し、その後再びハノーバーへと戻っていった。

 そしてその頃から、ハノーバーで恐ろしい事件が始まるのだった。

 

 

◆戦慄の開幕

 1918年。

 故郷ハノーバーに戻ったハールマンは、逮捕前していたような犯罪生活にすぐに戻ることとなった。

 また、「密告屋」としての警察との関係も続いていた。

 貧困の結果犯罪が増加したため、警察は毎日多くの問題を処理しなければならなかったからだ。犯罪件数に警察官の数が追いつかず、ハールマンを密告者として頼っていたのである。

 貧しいドイツの街は治安が悪くなる一方だった。

 

 そうしてフリッツ・ハールマンは若い男性に、欲望と狂気のまま襲い掛かるようになる。

 第一の被害者が出たのは、1918年の9月。

 フリーデルという若者が母親と喧嘩して、家を出たまま行方不明となった。

 友人などから多くの情報提供を受け、警察は最終的に「フリーデルを誘惑していた」という男の家を突き止めた。

 室内に踏み込むと、フリッツ・ハールマンと別の少年がベッドで寝ているところを発見。

 警察は密告者としてハールマンを頼っていたため、この事実に落胆した。

 しかし当然見逃すわけにはいかず、ハールマンは少年を誘惑した罪で逮捕、9カ月の懲役刑を受けている。

 しかしフリーデルの発見にはいたらなかった。

 いや、本当ならばこの時、フリーデルは発見できたはずだった。

 実はこの時ハールマンは、切断したフリーデルの頭部を室内に隠していたのである。

 警察は、ハールマンの部屋の捜索などは一切行なわなかったのだ。

 ハールマン本人がフリーデルの件を自供したのは、これより数年後のことだった。

 

 少年を誘惑した件で逮捕されたハールマンは、釈放後すぐにまた次の犯罪に手を染めようとしていた。

 もはや更生など一切見込めず、刑務所での日々など彼にとっては罰でも何でもなかったのかもしれない。

 そして警察も再びハールマンを密告者として頼るようになった。

 彼のような前科者は他の犯罪者や裏社会との繋がりを持っているため、情報収集に役立つ存在と見なされていたのだろう。それにハールマンには、これまでの実績もあった。

 

 警察に協力しながらも、フリッツ・ハールマンは街のあちこちにいる家出少年や 浮浪者の若者に目を光らせていた。

 そうして1919年の後半――

 ハールマンは、ついに最悪の運命の出会いを果たしてしまうのである。

 

ハンス・グランス

 

◆愛人ハンスと狂気の闇

 1919 年後半。

 フリッツ・ハールマンはハノーバー駅で、ハンス・グランスという美青年に出会った。

 ハンスはあちこちで盗みを働き、駅で古着を売って生計を立てていた。

 ハンスは始め同性愛者であるハールマンに近づき、金のために体を売ろうとしていた。

 しかし2人の間にはすぐに奇妙な友情が芽生え、ハンスはハールマンと同居するようになり、そこで肉体関係以上の狂気の絆が生まれたのだった。

 青年ハンス・グランスは、フリッツ・ハールマンの上をいく悪党だったのだ。

 この時ハールマンは40歳、ハンスは16歳だった。

 

 2人は始めのうちは、泥棒コンビとして金儲けをしていた。

 洗濯物を盗んだり、ホームレスから奪ったり、時にはハンスが恐喝をして金品を奪ったりし、それを売り捌いていたのだ。

 2人は儲けた金で買った上等な服を着ていたため、何も知らない地元民からは尊敬の眼差しを送られることもあったという。

 泥棒で得た金に加えて、障碍者と診断されていたハールマンは社会保障費も受けていたためかなり裕福だった。

 ハンスと2人で新しい住居に引っ越し、至福の時を過ごしていたという。

 

 だがやがて、2人の欲望はエスカレートしていく。

 1919年にフリーデルをあやめて以来衝動を抑えていたハールマンだが、1923年には 再び衝動を解放し、恐ろしい闇に自ら突っ込んでいくのだった。

 

 ハールマンとハンスの犠牲者は、主に通勤途中の若い男性、家出人、そしてハノーバー中央駅の周辺にたむろする体を売る青年たちだった。

 ターゲットが2人いた場合は美しい青年を選んで、好みでないもう一人は帰していたというかなり大胆な犯行だった。

 まずはそういった若者たちにハールマンが警察のふりをして近づき、彼らを自分のアパートに誘い込み、喉笛に喰らい付き噛みちぎって命を奪い、時には強姦も行なった。

 被害者は全員、通常はライネ川に捨てられる前にバラバラにされていた。

 被害者の所有物の多くは闇市場で売られたか、ハールマンかハンスが自分の物として保管していた。

 ハールマンは被害者の体から取った肉を「闇市場で豚肉の缶詰として売りさばいていた」という噂もあったが、これを裏付ける物的証拠はなかった。

 

 短期間で次々と行方不明になる若者たち。

 

 実をいえば、ハールマンが若者に声をかけている姿を何人もの人が目撃していた。

 しかし当時のハールマンはハンスと共に尊敬されていたため、誰もハールマンが事件に関与しているとは思わなかった。

 それに加えてハールマンはまるで自分が警察かのように振舞っていたため、彼を警察だと勘違いしていた人も多かった――というのも影響している。

 警察関係者が家出少年に声をかけたところで、何ら不自然なことはなかったということだ。

 

 いなくなった若者がどこへ行ったのか、警察の捜査は行き詰まっていた。

 被害者は家族のいないホームレスだったり、例え家族のいる家出少年だったとしても 「そのうち帰るだろう」という思い込みから、失踪届が出されるまでだいぶ時間がかかっていたからだ。

 そうしているうちに被害者の遺品は売り捌かれてしまい、警察の追跡はほぼ不可能だった。

 

「人肉を豚肉と偽って売っていた」という説が今でも残っているのは、こんなエピソードがあったためだ。

 ある時ハールマンの肉屋から肉を購入した女性が警察に出向き、これは「人肉ではないか」と申し出たことがあった。

 それでも警察の分析官は、それを豚肉だと断言したという。

 本当に豚肉だったのか、ハールマンを信用していた警察が適当な回答をしたのかは分からない。

 人肉缶詰の真相は、今も闇の中である。

 

逮捕時のハールマン(中央)

 

◆狂気の終焉

 1924年6月14日。

 前日の13日に人間の頭蓋骨が川岸で見つかり、ハノーバーは恐怖と混乱にざわついていた。

 そんな中、同じようにエーリッヒ・デ・フリースという若者が失踪した。

 彼を連れて行ったのも、もちろんフリッツ・ハールマンである。

 ハールマンはこれまで何度もしてきたようにエーリッヒに言葉巧みに近づき、タバコを勧めて親切な男を装い、自宅へと連れ帰ったのだ。

 この時点で始めの犯行から16 か月が経っており、約27人の若者を手にかけたとされている。平均すると、1ヵ月にほぼ2人のペースだった。

 

 捜査は思うように進まなかったものの、警察は一連の犯行の容疑者としてフリッツ・ハールマンに目をつけていた。

 しかし何度ハールマンを捜査しても、決定的な証拠は見つからなかったのだ。

 若い警官がホームレスのフリをしておとり捜査に挑んでも、ハールマンは尻尾を出さなかった。

 なかなか犯人を捕まえられず、住民からの警察に対するバッシングがますます厳しくなっていく。

 だがそんな中、15歳の少年カール・フロムとの口論がきっかけで、警察はあっさりとハールマンを逮捕することに成功した。

 カールとハールマンは数日間一緒に過ごしたが、何かがきっかけで喧嘩になり、怒ったハールマンがカールを鉄道警察に突き出し「この少年は書類を偽造して旅をしている」と訴えた。

 しかしここでカールも負けじと言い返す。

「俺はフリッツ・ハールマンから性的な行為をされた」と。

 これがきっかけで警察が動き、ハールマンの部屋からこれまでの行方不明者の持ち物や身分証が発見された。

 こうして1924年6月23日、フリッツ・ハールマンはついに逮捕された。

 

 当初はしらばっくれていたハールマンだが、1週間もすると自供を始め、自身の罪を認める形となった。

 

 ハールマンの相棒であるハンス・グランスは、翌月7月8日に逮捕。

 裁判が始まる前に2人は何度か面会している。

 この時ハールマンは常に動揺していたが、ハンスは事件そのものに無関心な様子だったという。

 裁判はハノーバー巡回裁判所で14日に渡って行なわれ、約200人の証人が壇上に上がった。

 冒頭陳述では、フリッツ・ハールマンは「1918年9月から1924年6月までの間に 27人を故意に殺害した罪で告発された」と述べられた。

 

 裁判中、ハールマンはかなり横柄な態度をとっていた。

 警察の密告屋として秘密裡に動いていた事実があり、これを公にされたくない警察が 彼を甘やかしたためである。

 被害者の母親が動揺して泣き崩れる中でハールマンはしれっとタバコを求め、ぷかぷかと紫煙を吐いていた。

 傍聴人に女性が多いことに対して文句を言った時もある。その時は裁判官が、「女性を締め出す権限はないんです」と申し訳なさそうに言ったそうだ。

 また一部の青年を殺したことを否定したこともあるのだが、それに対するコメントも酷いものだった。

「俺がそんな醜い奴に興味を持つと思うか?」

 

 ハールマンは自身の犯行を、物欲などの利益目的で行なったものではなく、美と官能性に突き動かされたためだと強く主張していた。

 

 しかしどんなにふんぞり返っても有罪は免れない。

 フリッツ・ハールマンは24件の殺人で死刑判決を受け、相棒ハンス・グランスはそのうち1件の殺人教唆の疑いで同じく死刑判決を受けた。

 1925年4月15日早朝、フリッツ・ハールマンはギロチンにより処刑された。

 

 しかし最後の最後で、ハールマンは置き土産を残したのである。

 

 ハールマンが処された後――

 ハノーバーのとあるメッセンジャーが、ハンス・グランスの父親宛ての手紙が路上に落ちているのを発見した。

 メッセンジャーは親切にも手紙をハンスの父親に届け、父親はそれを裁判所に提出した。

 その手紙はなんと、フリッツ・ハールマンが車で警察署に連行される途中で書いた 4ページの告白文だったのである。

 手紙にはハンスとハールマンの関係が要約して書かれており、ハンスの無実も公言されていた。

 具体的にどんなことが書いてあったのかは分からない。

 だがその手紙の開示によって、ハンスの死刑判決が2審で12年の禁固刑となったのだ。

 ハンス・グランスは刑期を勤め上げ、1975年に亡くなるまでハノーバーに住み続けたという。

 

 フリッツ・ハールマンは最終的に何人の命を奪ったのか。

 手にかけたとされている若者の数は27人。

 そのうちの24人の殺害の件で有罪となった。

 だが本当は、50人近くの若者が犠牲になったのではと言われている。

 

 

 ★

 

 

 その犯行の恐ろしさから「ハノーバーの狼男」と呼ばれたフリッツ・ハールマン。

 当時のドイツに貧困や食糧難があったのは確かだが、本事件と、それに続いたカール・デンケの事件は、人々に最大級の不安とパニックを引き起こした。

 ハノーバーのイェットリーデ墓地には、この事件の犠牲となった人たちの慰霊碑が建てられている。

 数あるドイツの事件の中でも、決して忘れてはならない出来事の一つだ。

 

ルドルフ          

 

本事件を動画で見たい方はこちら

 

 

 

 

 

 

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