辺獄インフェルノ

世界の怖い事件をまとめています

🌍 世界の片隅で起きた、真実の記録。
遠い国の出来事のようでいて、今を生きる僕たちにも通じる――
このブログでは、実際に起きた事件や人間のドラマを
静かに、丁寧に語り継いでいきます。

ルイス・ガラビート

狙われた少年たち

闇に牙を剥くジェノバの怪物

 

 

 もしもあなたのすぐそばで、誰かが危険な目に遭っていたら……。

 2021年のアメリカでは、誘拐された16歳の少女がTikTokで知ったSOSのハンドサインを出し、それを見た通行人の通報により無事に助け出された――ということがあった。

 このハンドサイン、皆さんは知っているだろうか?

 パー、よん、グーと覚えるといいだろう。

 これが、SOSの意味を成すのだ。

 あなたがこのサインを使う日がこなくても、どうか誰かのサインを見落とさないでほしい。

 この事件が始まったのは1992年のコロンビア。

 少年ばかりを狙った犯行、自らも追い込まれていた少年時代。

 この男にくだされた判決はなんと、懲役1853年。

 

 1999年4月22日

 コロンビア メタ県

 この日の午後、牧草地で仕事をしていた未成年の少年に声をかける男がいた。

 男は適当なことを言って少年を誘い出し、連れ去りに成功。

 ひとけのない場所へ少年を連れて行ったところで、突如豹変し少年に馬乗りになった。

 少年の悲痛な叫びを聞いたのは、偶然そこにいたホームレスだった。

 駆け付けたホームレスは男に向かって石を投げつけ、少年を助け出したのだ。

 これがきっかけで男は逮捕されることになった。

 男の名前はルイス・ガラビート、逮捕当時42歳。

 なんとこの男、1992~99年の約7年間で、最低でも138人の命を奪ってきたのである。

 犠牲者のほとんどは、少年だった。

 

 

◆怪物の過去

 ルイス・アルフレード・ガラビート・クビージョス

 1957年1月25日

 コロンビア、キンディオ県ジェノバ生まれ

 ガラビートの幼少期は、愛と平穏からほど遠いところにあった。

 7人兄弟の長男として生まれたルイス・ガラビートは、喧嘩と暴言が日常となった家庭で少年時代を過ごした。

 父親は厳格でありながらもアルコールに溺れ、家族に対して日常的に暴力を振るい、母親との口論が絶えなかった。

 また母親は男性客を取る仕事をしており、父親は子供たちに母の仕事の様子を目の前で見せたりもしていた。

 父の存在は叱責と恐怖を象徴するものでしかなく、ガラビートは彼を避けるように隠れて過ごす日々を送った。

 幼いガラビートの心に刻まれた恐怖と孤独は、徐々に彼の性格を形作り、暗い影を落としてゆくこととなる。

 

 学校もまた、ガラビートにとって安らぎの場所ではなかった。

 セイランのシモン・ボリバル学校に通っていたガラビートは、同級生から嘲笑され、いじめの標的にされていた。

 不名誉なあだ名を付けられ、クラスメートにとって笑いの種となっていたガラビート。授業にもついていけず、彼は休み時間にひとりでいることを好むようになった。

 そんな学校も5年生の頃に退学。

 父親がガラビートに「学校を辞め、働いて家に金を入れろ」と命令したためだ。

 学校での屈辱は無くなったが、だからといってガラビートの生活が明るくなることはなかった。

 

 そんなガラビートの人生にさらに深い影を落としたのは1969年――学校を辞めた翌年で、12歳の時の出来事だった。

 父親に連れられて予防接種を受けに行った日、ガラビートは隣人であり敬虔な信仰を持つ薬剤師から、痛みを伴う性的な虐待を受けたという。

 父親と親しかったその薬剤師の男は、ガラビートの心に消えることのない傷を残した。

 この事件はガラビートの主張なのだが、一部専門家はこの主張の真実性に疑問を抱いているという。

 ともあれルイス・ガラビートいわく、この事件は彼をさらに内向的にし、彼の内なる怒りと復讐心を増幅させる契機となったのだそうだ。

 

 ガラビートの行動は徐々に異常を呈し始めた。

 彼は鳥を悲惨な方法でいじめたり、弟や妹に対して性的な目を向けたり触れたりと 不適切な行動を見せ始めた。

 その一方で、心は攻撃性と孤独で満たされていった。

 ガラビートが14歳になった時、5歳の少年を襲おうとしたところを母親に見つかり 一時的に家を追い出される。

 翌年には駅で別の男子に襲いかかり、このたびは男子が大声を出したため周囲が気づき、警察沙汰にまで発展した。

 ガラビートはこれに対して「軽く叩いたりしただけだ」と主張し、短時間拘留されただけで家に帰された。

 ガラビートの父親がこの件に対して息子に言ったのは、「なんで女を襲わなかったんだ」ということ。

 最終的にガラビートは、この一連の同性愛行為を理由に家を追い出されることとなったのだった。

 

 成長したガラビートは、補償基金のアシスタントとして社会人の一歩を踏み出した。

 その後は店舗チェーンで働き、マーケティングを学ぶなどキャリアを積もうとしたが、顧客や同僚、上司との衝突が原因で問題児として見られるようになった。

 物理的な争いに発展することもあり、ついには職を失ってしまう。

 

 仕事を失ったガラビートは、露天商や移民労働者として生計を立てるようになる。

 彼はそんな生活の中で、精神病、妄想、鬱病の症状に苦しむようになっていた。

 また男女構わず子供を理不尽にいじめるうち、やがてはティーンの男子を歪んだ性癖のターゲットにするようになっていった。

 

 そのうち鬱病に加えて、自殺願望まで抱くようになっていく。

 ガラビートは「自分の家族がほしい」と願っていたが、酒に酔うと男女の営みにおいて不能になってしまうことに深く悩み苛立っていたという。

 

 そんな中ガラビートは トルヒーリョのコーヒー農園で働き、教師でシングルマザーのルス・マリーと恋に落ちる。

 二人は毎週のミサに一緒に出席するようになり、穏やかな時間を共有していた。

 ガラビートは恋人の子供を、自分の子のように可愛がった。彼はとても人柄の良い青年だったという。

 ただしそれはシラフの時だけで、酒を飲むとその性格は一変する。

 ガラビートは酔った勢いで父親を殺すと脅し、ルス・マリーに対して暴力を振るうこともあった。

 さらに嫉妬深く支配的な本性があらわになり、やがては誰彼問わず周囲の人を蔑むような態度を取るようになった。

 

 このような問題行動によって地元の人々は、頻繁にガラビートに関する噂話をするようになった。悪い意味での有名人となってしまったのだ。

 それでも暴力的な衝動は止まらず、ガラビートはルス・マリーから何度も家を追い出されていたという。

 彼の性格の二面性と暴力的な行動は、彼をさらに孤立させ、破滅的な道を進ませることとなる。

 

 

◆前兆期間

 パン屋で仕事をしていたガラビートだが、同僚と口論になり結果的に解雇されてしまう。

 その後ガラビートは自ら命を絶とうとしたが失敗。

 絶望の中、彼はサン・ファン・デ・ディオス病院で精神科治療を受けることを決断する。

 

 1980年の春。

 何度も入院を繰り返しながら、ガラビートは「自分の人生には何の価値もない」と訴え続けた。

 精神病と過食症の兆候がありながら主にうつ病の治療を受け、抗精神病薬も処方された。

 治療中、彼は精神科医に対して自殺願望の理由を説明する中で、「子供が欲しかった、ただ家族を持ちたかっただけだ」と訴えたという。

 

 その後ガラビートは、アルメニアのアンティオキアにあるスーパーマーケットで働き始める。

 同時期にクラウディアというシングルマザーで美容師の女性と短期間交際をしたものの、彼の収入では彼女の望む生活を支えることはできず、結局クラウディアはガラビートのもとを去ってしまった。

 ささやかな幸せさえも長続きしない現実が、彼をさらに孤立させていった。

 

 ルイス・ガラビートはその苛立ちや寂しさを、なんと仕事の昼休み中にストリートチルドレンを性的に襲うことで穴埋めし始めた。

 初めは衝動が爆発するに任せて犯行に及んでいたが、次第にじっくりと己の欲望を発散させようと考えた。

 ガラビートはターゲットに長く苦しみを与えるため、カミソリの刃やろうそく、ライターなどを持ち歩き始め、ぎらついた目でターゲットを探すようになったのである。

 

 また犯罪を犯した後、ルイス・ガラビートは奇怪な儀式に没頭した。

 彼は犠牲者の名前を青いノートに一つ一つ書き記し、その後、裸になって部屋の中を歩き回るという儀式を行なった。

 胸を叩きながら犠牲者のために祈りを捧げる姿は、彼の心に潜む罪悪感と異常な執着を物語っているようだった。

 

 ガラビートはまた毎晩聖書を読み、自分の犯した行為の意味を見出そうともしたという。

 そのようにしてキリスト教の神に救済を求めていたが、ある日友人からスピリチュアル的な本を借りたことがきっかけで、彼の興味は占星術やタロット占い、さらには悪魔主義にまで広がった。

 ガラビートは占い師を訪ね歩いたが、彼らから得られる知識に満足することはなかった。

 占い師たちについて、「彼らはオカルトについてほとんど知らない」と断じ、自らの探求をさらに深める道を選んだ。

 

 しかしその探求の裏には、深い鬱と罪悪感が隠れていた。

 彼は夜ごと犠牲者の悪夢に悩まされ、子供たちの顔を思い出しては泣きながら目を覚ましていた。

 だが時には、犠牲者を思い出しながら笑っていたとも主張している。

 この矛盾した感情は、彼の精神が崩壊していく過程を如実に表している。

 

 そうしてガラビートはアドルフ・ヒトラーの自伝『我が闘争』に強く影響を受け、ヒトラーと自身の人生にいくつかの共通点を見出した。

 このことが彼の、ホロコーストや強制収容所への異常な執着を生むきっかけとなった。

 

 1984年1月。

 ガラビートは精神崩壊を起こし、33日間精神科に入院。

 退院後、彼はリサラルダ県ペレイラに移り、2人の子供に性的虐待を加えるという行為に手を染めた。

 この事件が公になったことで、彼はその街から逃亡を余儀なくされた。

 

 その後ガラビートはメスやろうそく、カミソリの刃をビニール袋に保管し始め、次第に犠牲者への計画的な暴行を準備するようになった。

 この頃までにガラビートはなんと、100人以上のターゲットに性的虐待を加えたとされている。

 

 また1986年には、カンポ・エリアス・デルガドという国内テロリストに深く興味を持つようになる。レストランでのデルガドのテロ行為によって、ガラビートの母を含む多くの人が犠牲になったにもかかわらず、だ。

 ガラビートはデルガドの暴力的な行為に触発され、自分の家族全員皆殺しの空想を抱くようになったという。

 

 同時期にガラビートはシングルマザーのグラシエラと短期間交際し、彼女の家で生活するようになった。

 表向きは家庭的な振る舞いを見せていたが、アルコール依存症や反社会的な行動が原因で、彼女との関係は次第に悪化していった。

 またガラビートの友人たちは、地元のモーテルで酔っ払ったガラビートが少年と一緒にいる場面を目撃したことがあった。

 友人たちはそこで初めてガラビートに少年愛の気があることを知ったが、彼の行動の本当の悪質さには気づかなかった。

 

 このようにして、1980年代はガラビートが暴力と支配欲の強化を進め、後に命を奪う犯行へとエスカレートする前兆期間となったのだった。

 

 

◆ジェノバの怪物

 1992年10月4日。

 ルイス・ガラビートが初めて命を奪ったのは、13歳の少年フアン・カルロスだった。

 ガラビートは彼に「仕事をあげる」と嘘をつき、ひと気のない場所へ移動。

 フアンはのちに、前歯が折れ、直腸と喉に深い切り傷を負い、性器が切断された状態で発見された。

 

 ガラビートの犠牲になったのは主に、6歳から16歳の少年たちだった。

 内戦の影響でコロンビアには多くのストリートチルドレンが路上生活をしており、ガラビートはそんな子たちを狙ったのだ。

 ストリートチルドレンがいなくなることは珍しくなかったため、警察もまさかこれが連続殺人だと思ってもいなかった。

 そのためにガラビートの犯行は7年にもわたって見過ごされていたのた。

 ガラビートは周囲の目を欺くために様々な変装をし、子供たちに優しくお菓子を与えたりしていた。

 地元では「グーフィー」というニックネームを付けられ、親しまれていたという。

 

 手口としては、お菓子やお金・または仕事をあげるという口実で誘い出し、ひとけのない場所で襲うという単純なやり方だった。

 だがその内容はあまりにも惨く、ここでは全てを語ることはできない。

 日本語版と英語版のウィキペディアそれぞれに犯行内容が載っているため、自己責任で確認してほしい。

日本語版Wikipedia「ルイス・ガラビート」

 

 そして記事を読んだ方は想像してほしい。

 このおよそ人間のやることとは思えない暴力を受けたのは、まだ幼い、本当に幼い子供たちだったのだと。

 

 1997年。

 西部ペレイラの湿地で、36体の遺体が発見された。

 この衝撃的な事件は当初カルト教団によるものと考えられていたが、後の調査により真相が明らかになる。

 また別のリサラルダ県では合計41人の遺体が見つかり、その隣のバジェ・デル・カウカ県では27人の遺体が発見された。

 

 翌年1998年2月。

 ジェノバの町外れにある丘の上で、2人の子供の全裸遺体が発見された。

 遺体には首を切られた痕跡と、背中、性器、足、臀部には痣が確認された。

 その翌日、同じ場所からさらに3人目の遺体が見つかった。

 

 発見された犠牲者は、ほとんどが男の子だった。

 皆胸糞の悪くなるような拷問と、凄まじい性的暴行を受けていた。

 

 犯行現場で見つかったメモには住所が書かれており、その情報から警察はガラビートのガールフレンド、ルス・マリーに辿り着く。

 彼女は「数ヶ月間ガラビートに会っていない」と述べたが、警察は彼女が部屋に置いていたガラビートの荷物から、被害者の写真や犯行を詳細に記録した日記帳を発見した。

 

 ガラビートは何年も続く犯行の中で、黒い布製のスーツケースに被害者の持ち物や身分証を入れ、自身の犯行を日記のように記録していた。

 そのスーツケースはガラビートの妹に一旦預け、その後でルス・マリーに渡されていたのだ。

 そのスーツケースから発見された証拠品や日記帳により、警察はガラビートが連続殺人事件に深く関与していると判断し、直ちに指名手配を行なった。

 

 

 

ロドニー:遅すぎるくらいだけど、ようやく尻尾を掴んだって感じなんだね。

 俺、犠牲者の数が138人って聞いて驚いたけど、命を奪われず乱暴された子たちを含めると 200人以上に被害が及んでいたんでしょ?

 もちろん亡くなった子たちもだけど、本当に本当に怖かっただろうなって思うんだよ……。

 

ルドルフ:中には何とか反撃しようとした子もいたが、力でねじ伏せられてしまったというんだな。

 

ロドニー:懲役1853年て聞いてももう驚かないよ。それだけの人数を傷付けて、それだけの命を奪ったってことでしょ?!

 

ルドルフ:そうなんだ。1853という数字は、この件で失われた一人一人の命に対する刑罰なんだな。

 

ロドニー:もちろん1853年分の刑なんて受けられないのはわかってるけどさ。

 だけどこれだけのことをしても死刑にならないってことに今度は驚くよ。

 

ルドルフ:コロンビアでは死刑制度が廃止されていたからな。だが民衆からは今回の件で、死刑制度を復活させるべきという声も上がったそうだ。

 

ロドニー:ダメなのはわかってるけど……。

 

ルドルフ:それどころかコロンビアの懲役年数の上限は、法律で40年と決まっているんだ。そのために1853年の刑を受けたガラビートも結局は40年に減刑、最終的には犠牲者の遺体発見に協力したとかで、懲役22年になったんだ。

 

ロドニー:たったの22年! 遺体発見に協力って、そんなの当たり前のことでしょ?!

 

ルドルフ:国が違えば文化や法律が違うのは当前ではあるが、何とも考えてしまうな。

 

 

◆勇気ある若者たち

 1999年4月22日

 コロンビア メタ県

 この日、牧草地で宝くじを売る仕事をしていた12歳の少年――ジョン・イヴァン・サボガル。

 午後になって、一人の男がジョンに話しかけた。

 男は、「自分は地元の政治家、ボニファシオ・モレラ・リスカーノだ」と自己紹介した。もちろんそれは嘘であり、正体はルイス・ガラビートである。

 ジョンが気を許したのを察知したガラビートはナイフを出してジョンを黙らせ、彼を抱きしめるような恰好でタクシーへと誘導した。

 

 行き先は、人里離れた丘だった。

 その中腹に続く有刺鉄線のフェンスをジョンに登らせ、逃げ道を塞いだガラビート。

 ジョンを縛ったガラビートは、存分にナイフで彼を脅しながら卑猥な言葉を叫び続けた。

 それもジョンに跨り、自身のモノを扱きながらだ。

 そしていつものように、ジョン自身にも手を伸ばし始めたのだった。

 

 だがガラビートは知らなかった。

 誰もいないと思っていたこの場所に、始めからずっと人がいたということを。

 

 ガラビートの口汚い罵りと、少年ジョンの悲痛な叫び声。

 それを聞きつけて現場までやってきたのは、その近辺で路上生活をしている16歳の青年だった。

 青年はガラビートを大声で怒鳴りつけ、その子から離れろと叫び、ガラビートに向かって何度も石を投げ付けた。

 激昂したガラビートがナイフを取り、鬼の表情で青年に迫る。

 青年はすぐさまジョンの手を取り、二人は走り出した。

 二人は恐怖と興奮に息を切らしながら、なんとか農家へと逃げ込むことに成功する。

 農家では、事情を知った12歳の少女が彼らを匿ってくれた。

 しかしガラビートは執拗に追跡を続け、ついに農家までたどり着いてしまう。

 ガラビートは少女に向かって激しい口調で捲し立てた。

「二人のガキを探している、道を教えろ」と。

 少女は冷静さを保ち、「その二人なら……」と親切に道を教えた。

 だがその道は、ガラビートを森の中へと導くものだったのである。

 そこでガラビートは道に迷い、追跡を断念せざるを得なくなった。

 

 一方、16歳の青年によって警察への通報が行われ、ただちに捜索が開始された。

 地元民は激怒しガラビートを自らの手で捕まえようとしたが、当局は冷静さを保つよう呼びかけた。

 午後7時ごろ、森の中から歩いて出てきたガラビートを警察が発見。

 彼は偽の身分証明書を提示し、自分を政治家のリスカーノだと名乗った。

 だが警察は彼がガラビートであると直感し、慎重に調査を進めた。

 そして逮捕から約2カ月半が経った頃の1999年7月4日――ようやくその男が連続殺人犯、ルイス・ガラビートであることが確認されたのである。

 

 この出来事は、のちにジェノバの怪物と呼ばれたルイス・ガラビートの凶行を終わらせる契機となった。

 そして何よりも、勇気を持って行動した16歳の青年と12歳の少女の機転が、多くの命を救う結果へと繋がったのである。

 

 

◆その後のこと

 1999年10月28日。

 ルイス・ガラビートは殺人を認めて自供を開始。

 コロンビア国内32県のうち11の県で、少なくとも172人を手にかけたことを認めた。

 またエクアドルとベネズエラでも、同じような犯行を起こしたと言われている。

 

 裁判の結果、172件のうち138件で有罪判決を受ける。

 ガラビートには懲役1853年9日という、コロンビア史上最長の刑期が言い渡された。

 しかしコロンビアの法律では懲役刑は40年に制限されているため、実際にはこの上限が適用された。

 またガラビートが警察の捜査に協力し、犠牲者の遺体発見を手伝ったことで、刑期はさらに22年に短縮された。

 

 ガラビートはエルセサール県・バジェドゥパルにある厳重警備の刑務所で刑に服し、他の囚人から隔離された環境で過ごした。彼がすぐに命を狙われる可能性があったためである。

 

 2023年には刑期の5分の3を終えたことで仮釈放の資格を得る権利が発生したが、被害者への罰金が未払いであったため、裁判所は早期釈放を却下。

 

 ガラビートは希望を持ち続け、「釈放後には牧師として活動し、虐待を受けた子供たちを助けたい」と語った。

 また女性との結婚や、コロンビア議会への参加を夢見ていた。

 しかし現実にはガラビートは重度の眼の癌と白血病を患い、失明や衰弱に苦しみ、毎日の輸血を必要とする状態だった。

 刑務所では、アクセサリーを作ることにほとんどの時間を費やしたという。

 

 2023年10月12日。

 ルイス・ガラビートは、バジェドゥパルの病院でその生涯を終えた。66歳だった。

 

 

 ★

 

 

 何の罪もない子たちを次々と弄び、命を奪ったルイス・ガラビート

 彼が服役中に語った夢について僕は敢えて触れないが、人間とはここまで残酷になれるのかということを考えられずにはいられない。

 そんな救いのない事件だからこそ、この男の狂気を止めた若者たちの行動には敬意を払いたい。

 彼らの勇気ある行動こそが暗闇に小さな光を灯し、僕たちに人間の善意の力を信じさせてくれる。

 

ルドルフ          

 

本事件を動画で見たい方はこちら

 

 

 

 

 

 

※当ブログの文章・画像の無断転載・複製を禁じます。

Copyright © Project Limbo All Rights Reserved.